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ソウル雑感

 せっかく昨日ソウルから戻ってきたばかりなので、記憶が新鮮なうちにソウルの雑感など残しておこうと思います。

 まず、ダンナと私が旅行したのは間違いなく大韓民国の首都ソウルですが、前述したホテルのある町、踏十里で送迎バスを降りた瞬間から、私たちの意識では『韓国』ではなく『北朝鮮』にやって来た錯覚にとらわれ続けています。それは、もちろん拉致もされず、ソウル中心部の繁栄を見て帰国した今現在でも続いています。

 それはなにゆえか?
 
 私が考えるに、2つの要因があるでしょう。

 ひとつは、ハングル文字に360度を囲まれる風景の異様さに圧倒されること。それは韓国語・ハングル文字だけが私たち以外のすべての人々に認識される言語であり、そこでは日本語・漢字はおろか英語・アルファベットでさえも見聞きすることが出来ない世界であるということです。そして日本語/英語を見聞きすることが出来ないということは、当然 日本語や英語で質問しても全く理解されず、私たち2人は世界から全く孤立した存在になってしまうということでもあります。
 前述した通り、旅行の初日 夜10時前に街灯もまばらで薄暗い人気のない道に面した幽霊ホテルの前に降ろされ、空腹だった私たちは荷物を部屋へ置いてともかく外へ食事に出かけました。
 しかし、ソウルの中心部からかなり離れた郊外の街は、全く『観光客の視点』というものを意識していない造りです。
 すなわち、立ち並ぶ店の看板は見事なまでにハングル文字しか書かれておらず、たとえば『ABCマート』といったような、ハングル文字以外を使った固有名詞さえ存在していませんでした。唯一見つかった理解可能な文字と言えば、『スホーシマッサージ』という誤った日本語の看板のみ。しかしこれとて、この程度の日本語力では私たち観光客の日本語を理解できる店ではないでしょう。
 なんとしてでも韓国らしい食べ物を食べたかった私は、意を決して、軒並み閉店して真っ暗な店ばかりの中、かろうじて灯りをつけて営業していた食堂に入ることにしました。しかしその店にしても、ハングル文字だけの看板では何を食べさせる店か分かりません。自分が何を食べようとしているのか分からず本当に怖かった・・・。

 まず、店に入って最初につかつかと店員さんのところへ寄り、「日本語のメニューありますか?と質問してみました。私の予想では、ソウルに来て「日本語」と発音すれば、「日本人が何か言っているんだな」ということだけは理解してもらえると思っていました。

 ところが、私がその一言を発言した次の瞬間、店員のおばさんは固まってしまいました。私が何を言っているのか全く分からなかったようです。
 その予想外の反応で更に私も固まり、場は緊張状態。とにかく何とか伝わる単語を・・・と、今度は「メニュー」と単語で発音してみました。
 すると、ハングル文字の下に日本語が添えられたメニューを出してきましたが、それはメニューというか、よくラーメン屋の卓上に立ててあるような、数品を書いたカードでした。しかも、肝心の料理は「豚肉と何とかの?」とかいう材料の説明のような日本語で、果たしてなんという食べ物なのか分かりません。更になんとその一品だけしか書かれていません。あとはビール、ジュースなど、飲み物が数品書かれているだけです。

 私はメニューを見ても何もならないのですぐに見ることを止めましたが、おばさんは私がメニューをみて理解したと思ったのか、韓国語で壁に掲げてあるハングル文字のメニューを指しながら韓国語でまくし立ててきました。これはもうだめだ・・・・と、私は退散。葉が通じないということは、自分がなんの店に入ろうとしているのか分からない、入っても、何を注文すればいいのか分からないということ。つまり、全く目が見えない世界に取り残されたのと同じようなものだということを初めて体感しました。

 この孤立無援感は強烈なもので、困ったとか孤独とかいう感情の水準を超えて、恐怖と言ってもいいと思います。世界の中で私たち2人だけが周りから見られることはあってもこちらから見ることは出来ないという囚われたこの恐怖が、独裁政権国家の北朝鮮を思わせるような気がします。

 もうひとつ、ソウルに来たはずなのに北朝鮮と錯覚してしまう理由は、正直ソウル市民の感覚にまだまだ「サービス」という観念が浸透していないからではないか・・・と思います。
 
 サービスとは、別に接客の愛想のよさとかカスタマーサティスファクションとかではなく、もっとはっきり言えば「どれくらい民主化、自由経済化が進んでいるか」ということです。
 「もっと儲けるためにはどうすればいいか」という視点をどんどん掘り下げていけば、それが詰まるところはサービスになるのかと思います。が、ソウルの少なくとも郊外の街ではその視点の浅さを感じます。
 例えば、夜閉店後の店が軒を連ねている景色を見ると、はっきり言って廃墟なのか閉店後なのか分かりません。その理由は、店が埃っぽいような感じであったり、ひび割れや塗装はがれなどのメンテナンスがされていなかったり、窓から見える店内の様子が片付いておらずテーブルや椅子がでたらめに置かれていたり・・・・といったように、人が手をかけてお客を呼び込もうとしている様子には見えないからです。
 私たちの想像では、もっとサービス業は日本と変わらないと思っていたのですが、むしろ「対価と引き換えに商品なりサービスを提供すれば、店の機能は必要十分果たせた」としてそれ以上を追求する必要性を発想しない、なんだか共産圏のような精神がまだ残っているのでは?と思ってしまいました。

 一方では、24時間眠らない大繁華街も持つソウルです。そこではむしろ、中華民族に通じるようなしたたかさや逞しさも連想します

 韓流ブームやウォン安に乗じての行き易さで、韓国は文化的にも日本と地続きですぐ隣りにいるような気分でいました。が、近くても奥深くてまだまだ複雑な国でした。簡単に嫌いとは言えず、でも手放しに大好きとも言うのが怖い、もっと奥を探ってみたい気にさせられます。
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テーマ : 海外旅行 - ジャンル : 旅行

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