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土俵を降りたから

 我が家は普段、ダンナが仕事の出張で家にいません。きっと普通なら、一週間のうち1泊とか2泊を外泊することを「出張」というのでしょうが、面白いことにウチのダンナのお仕事は地方各地の営業拠点を次々と回ることなので、我が家で過ごすのが一週間のうち1泊とか2泊だったりするのです。

 必然的に、私はほぼ毎日家では猫とふたりっきりです。まぁ猫が居てくれるだけマシなのですが(やっぱり猫であっても、本当の一人きりとは違います!)、口をきく相手は誰もいません。ここに書きなぐっているいるような悶々とした思いは、普段心の中にしまいっ放しです。

 頭の中だけでぐるぐると考えていると疲れますし、何よりも自分の考えが視野狭窄に陥っていてもそれに気がつけません。というわけで、「人に話を聴いてもらったら、何か違う糸口が見えてくるかも知れない」と期待して、「いのちの電話」なるものに電話してみました。

 3月は木の芽時、うつ病の発生が多くなったり自殺者が増加する時期です。そんなこともあるせいか、電話はなかなか繋がらなかったのですが、何度かトライしてみたらとうとう繋がりました。なんだか顔も名前も全く知らない相手の人に、名前も告げずに自分の深刻な話を切り出すのって、なにか変な感じでちょっとそわそわして落ち着きません。

 私は、まず最初に手っ取り早く相談したいことの概要を伝えようと「自分でなにか仕事を始めようと思っているが、いくら考えても肝心の仕事の内容が考え付かない」と切り出しました。恐らくいのちの電話の相談員の方は、職業相談などの訓練を受けたスペシャリストではなく、あくまでも心理的な問題に特化して相談を受ける訓練をしているのではないでしょうか?ですからそもそも私の相談自体が、持ちかける先が違っているんです。それは分かっていることなので、はなから無理な相談なら向こうから断ってくれるだろう・・・と思って、最初にそう言ってみたわけです。

 あにはからんや、意外にもなんということはなく相談員さんは相槌を打って、自然に話を傾聴する方向へと誘導(?)します。なので、ここでズバリ欲しい答えが得られるとは思っていないながらも、自分の行き詰った考えに何かヒントが見つかれば・・・と、話を続けさせていただきました。

 だいぶ長くお話させていただきましたが・・・。やっぱり期待どおり(?)、この電話で「そうか私の仕事はこれだったのか!」というような発見はありませんでした。けれども、やっぱり相談員さんが上手く(というとなんだか語弊がありますが、決して悪い意味ではないつもりです)私の気持ちを聞き出してくれたおかげなのか、今の私がなんでこんなに苦しんでいるのか、私の人生上での今回の問題の意味のようなものは分かった気がします。

 今、私が職業選択でこんなに悩んでいることも必然なら、どんな仕事をすればいいのか皆目見当がつかないのも必然ではないでしょうか。
 私は自分でも今まで分かっていませんでしたが、この歳までサラリーマン一直線で他に何もない生活をしてきたのは、結局は『安定が第一、不安定なのは怖い』という気持ちから出た選択だったのだということに気がつきました。どこかでずっと無理を感じていても、「正社員雇用のサラリーマン」という土俵から今までずっと降りようとしていなかったのです。その枠の中にいればまずは安心だから。
 自分は、自分が無意識に望んでそこに留まっていたんだということに全然気がついていませんでした。ですので結婚と同時に退職、引越ししなければならない局面に至っても、「いよいよ自分は土俵を降りるんだ」なんてことは全く意識していなかったのです。ただ単に、「主婦になったら家計の大黒柱はダンナに移るから、自分は引越し先で補助的な仕事をしれいればいいんだ」と、生活パターンの変化に合わせて働き方を変えるだけなんだという程度にしか思っていませんでした。

 「転勤するたびに新しい土地でバイトを見つければ、別にそんなに悩まなくていいじゃないか。わざわざ面倒な悩みにまで、単なる転勤と仕事変えの問題を持ち上げているだけだ」と言われるかも知れません。そう思うのは、おかしな話ですが自分でも「単にアルバイトを転々とすればいいのであって、もし先々年齢や土地柄でバイトが見つからなければその時考えればいいんじゃないか?自分で問題を複雑にしていないか?」という気もするからです。
 それも一理あるのですが・・・・・今のままでは自分の未来に希望が見えないことを感じているのです。
 詳しくは書けませんが、まるで必然の偶然であるかのように、1月下旬から最近まで、仕事も私生活も動揺するようなことが集中して起こりました。それらの経験を通じて私が知ったことの一つは、
「バイトの仕事とは、ただの作業でそれ以上は期待されない。何年やっても何かが向上していく手ごたえや喜びは感じられない」ということでした。むしろ、それを私が今のバイト先に期待しすぎたために、雇用主や同僚とのとの歯車が狂ってきたような感さえあります。バイトは言われたことから出すぎたことをしないのも仕事のうちなのです。

 「あなたは、あなたの出勤する時間のことだけ考えていればいい」と他の同僚から言われました。いろんなゴタゴタで疲れていたので、それからはそれを心がけていたのですが・・・何というか、つくづく自分が荒れていきます。

 やっぱり人間は、未来に繋がっていると思えると今を大事に出来るんだと思います。「今が楽ならいい」というのは(もちろん私にも自堕落な心理は多分にありますが)、楽ではあっても楽しくはまったくない。毎日を楽しく生きたいなら、やっぱり張り合いは必要なのです。

 だから、今の私の悩みが大したことのない問題を過大に考えているだけだとは言い切れない・・・とも思います。今、安定し守られてはいるけど窮屈な土俵を降りたのなら、引越した先で流れにまかせてその場その場のバイトでしのいでいくやり方は、ある意味、今度は「ダンナの勤め先」という土俵に守られることを期待した、また同じレールに乗っかった生き方を繰り返すことなのだと思います。(もちろんそれを好むか嫌うかはその人の好みです。)

 考えてみれば、今までの私の人生上の選択というのは、いわばどれも「相手から選択肢を提供された中で、どれを引くか」の選択だった気がします。
 例えば学校を卒業して企業を選ぶ場合。恥ずかしながら、今ほどにすら「自分は何の仕事をするか」ということを考えていなかったです。もっと単純に、条件や会社の規模で、自分が入れそうな候補の中から消去法のように選んでいました。だからこそ入社してから、社業に違和感を持ち続けることになったのでしょうが・・。社会の中では、「学校を卒業したら企業に就職する」という自動のエスカレータのような道が引かれていて、そのエスカレータに乗っかりさえすればあとはいくつかやって来る求人の中から選ぶ・・・というシステムが出来ています。なんだかレストランで席に座ると、「AコースかBコースかCコースのどれにしますか?」とメニューを差し出されたみたいです。

 だけど、期せずしてその土俵を降りた私は、今度は誰も選択肢を差し出してくれない中で仕事を決めなければなりません。何もない茫漠とした世界から何かを選択するのは大変です。今私が途方に暮れているのは、そういうことなのでしょう。相談員さんとの電話のおかげで、自分が今どこにいるのか少し見えたと思います。

 今は自分がこれまで経験したことのない選択のときに立っていると考えたら、エリクソンの発達課題の話を思い出しました。
 中年期の発達課題は『生殖性vs自己停滞』。生殖性というのは今の自分にはピンと来ませんが、うまく課題を達成できなければ自己停滞に転落する危機感はかなり感じます。何としてもここはうまく乗り切らないといけません・・・。

 ついでにユングの『個性化』の話も思い出しました。まるで必然のように今までの仕事を考え直すことを迫られる出来事が続いたのは、これもなんだかユング的ではないか、と・・・。

 
 
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テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

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