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「やりがい」「充実感」「専門性」

 実はこのブログを久しぶりに再開した少し前に、この本を読みました。

    『職業とは何か』 梅澤 正 (講談社現代新書 2008)

 若い時はこのような本を読んでも、自分の職業経験がまだ浅かったためにその内容を十分理解できませんでした。しかし自分なりの職業観も芽生えつつある現在これを読むと、筆者の言わんとしていることが自分の経験と照らし合わせて非常に具体的に理解できます。頭の中ではぼんやりしてまだ掴みきれていない自分の思考が言語化されて、非常に有益な本です。

 私は以前の会社に勤めていたとき、営業担当だったのですが自分の『仕事』に「自信」がありませんでした。
 社内ではそこそこ中堅と言ってもらえる社歴と年齢で、業務を遂行するという面ではほぼ問題はありませんでした。もちろんずば抜けて優秀な社員というわけではありませんでしたが、それなりに仕事を精力的にこなしていたと思います。その業界内では難しいとされる研修の最上位ランクにも合格して、給与面でも考慮してもらっていました。
 ですが、常に不安だったのは、 
「私がやっている業務は、広い社会に出たらその中で生きていける技術・経験なのだろうか」
という思いだったのです。
 社内では、私のやっていた仕事は私であってもなくても必ず誰かしらが果たさなくてはならない役割です。しかしそれがなんのために遂行されているのかと考えると、自社の扱う商品を一つでも多く販売して利益を上げるためです。
 けれども私には、世の中で人の役に立つためには自社の製品でなければならない必然性は感じられませんでした。もちろん私は、他社の製品の存在を否定していたのではありません。自由主義経済ですから競合他社がいることによってお互いが切磋琢磨し、より良い製品が生み出されるという点で、他社の存在は必要ですし、競争ですからある場合には自社よりも他社のほうが社会からより多くの評価を集めることもあるというのも当然だと思います。
 それが当然なのに、自分が自信を持って世に勧めることが出来ない商品であってもいつ如何なるときも「これが最良の商品ですよ!」とセールスしなければいけないのは辛かったです。「商品に大差なくても如何に売り上げに差をつけるか」こそが営業力なのでしょうが、自分の営業力にも全く自信がありませんでした。
 というのは、ありがたいというべきなのでしょうが、商品自体にそれなりのブランド力やネームバリューがあったために、そこそこ何とかなってしまっていたのが現実でした。自分は営業の基礎も基本も分からないままいきなり現場に出て、行き当たりばったりで営業まがいのことをやっている、それで結果が出せるのか不安でしょうがないのに一応数字は出る、社内ではそれなりに『仕事』をしているとみなされている・・・・自分の「仕事」で結果を達成しているという自信を全く持てませんでした。あたかもどこが試験に出るのか全く分からずに、基礎学力もないまま一夜漬けで勉強してやみくもに試験に望んだら、たまたまラッキーなことに及第点が貰えた・・・とでもいった気分です。

 ですから、「それほど自分の仕事に拘るならば前職の経験を生かせばよい」と言われそうですが、今までは運よく取り扱い商品の知名度などに助けられてきただけです。なにか自分に商品を売るノウハウがあるわけではありませんから、もし全く業界違いのところへ転職する自信などありません。

 「自分の仕事に自信を持てない」ということは単に「次の仕事に踏み出せない」という害だけではありません。「社会の中で、食べていくために自分の力で勝負する武器を自分は持っていない」「自分は社会の中で生きていけない」という自分の存在の不安定感にも繋がっていきます。
 この劣等感を払拭したいというのが、現在仕事を考え直す際の大きな動機になっているようです。

 仕事をするのはお金を稼ぐためです。しかし私は、以前の仕事ではお金は稼いでいたけれどいつも自信がなく不安で、幸福とは言えませんでした。
 今仕事を選び直せるなら、お金を得られるのはもちろんですが、
「自分がこの仕事をすることによって、人の役に立つ結果を生み出せている」という、自分の存在に自信を持てる仕事がしたい。

 冒頭で紹介した本では、このような一節があります。
「質の高いやりがいや充実感を期待するのであれば、専門的な職業に就くことをお勧めします。逆にいうと、やりがいや充実感のある職業を望むなら、専門性を身につけることが必要になると私は思います。」
 やりがいや充実感を求めるなどと言うと、いかにも青臭い理想に酔っているようで恥ずかしい気持ちもありますが、しかし恐らく「自分の仕事に自信を持ちたい」という気持ちの内容は「自分が人を喜ばせる仕事をしているというやりがいを感じて、自分の存在を肯定したい」というものなのではないかと思います。

 そうであるならば、ずばり「専門性」だ、と筆者は書いています。
 では専門性って何か?
 「専門性」と聞くと、私がとっさに想像したのは例えば弁護士だとか会計士だとか医師や看護師だとか、若い頃からその道を目指して勉強した人こそが取れる資格の職業です。
 かたや、例えば大工さんのような職人の世界の仕事やアナウンサーのような技能の世界では、特に資格などはありませんが素人が今日から簡単に参入できる仕事ではありません。結局のところ専門性とは何なのでしょう?
 上記の本では、こんないくつかの見解を示しています。

・プロフェッショナルの本質は公益に奉仕すること。
・プロフェッショナルとは「顧客指向性」であり、クライアントの要請に応えて最適な問題解決を提案し、実現させる人。
・プロフェッショナルには「社会における明確な役割や貢献がその言葉から滲み出している。ひとつのことに打ち込んでいる専門家の匂いがする。」

 この他にも、もっとたくさんの定義を引用しています。
 資格を持っているかどうかとか、それどころか資格制度があるかないかと専門性は必ずしも一致しません。「社会や人の役に立つ」特定の分野を追求し、顧客の期待に応えているかどうかが専門家の定義なのだと私は理解しています。それならば・・・希望的観測かも知れませんが、学生でいられる時期を過ぎた私でももしかしたら何かの道を見つけられるかも知れません。
 そこに、天職の3つの要件の一つ目、「やりたいと思えること」なのかどうか、それが絡んでくればもう少し絞れそうです。
 
 もっとも、その「やりたい」という動機についても、上記の本では検証するべきだと書いています。

・「なぜやりたいのか」に関する「意味づけ」がしっかり出来ているか。
・何に裏付けられた「やりたい」なのか。
・「やりたい」にも次元がある。

 このあたりについては、学生時代の「やりたい仕事」を選んだ理由を思い出すととてもよく分かります。

 何がやりたいのか?なぜやりたいのか?
 私はこのあたりがまだまだ漠然としているようです。ですが、「専門性」がキーワードになりそうだということは分かってきました。

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テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

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