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仕事の喜び

 昔々まだ20代だった頃、ある友人と「仕事の喜びって何だろう」という話をしたことがありました。
 私はいくらでも代わりがいるサラリーマン、かたや友人は福祉事務所で生活困窮者などの相談に乗って生活を支援する福祉の仕事。その彼が言ったのです。「仕事の喜びって、結局自己満足だと思う。」

 人を助ける素晴らしい仕事をしているのに、なんでそんなに夢のないことを言うのか?自分がやっている仕事がどこに向かうものなのか分からないからますます仕事を美化していた当時の私には、彼の言葉がどこからやってきたのかがよく分かりませんでした。

 けれども今になると、もしかして彼が言っていた「仕事の喜びとは自己満足」とは、かなり真実に近いのではないか・・・という勘が働いています。

 昔の私も含め、働くことを具体的にイメージしにくい新卒者は仕事を選ぶ際の動機として、「好きなこと」を選択の基準にすることが多いと思います。
 これが悪いとは言えませんが、しかし以前の記事でも書かせていただいたように、ある活動が仕事として成立するためには、まず何よりも「人や社会の役に立つ」要件を満たしていなければいけないのではないでしょうか。いくら自分が好きで、生き生きとある活動をすることができても、世の中の誰からもそれを求められていなければ自分の趣味と変わらないのではないかと想像します。
 
 そう考えると、一生にわたって色あせない仕事の喜びとは、その活動から自分が直截的に感じられる喜びというのではないのかも知れません。むしろ、「自分の活動を他者が喜んでくれることによって、自分も喜びを感じる」という一見婉曲的な形での喜びのほうが、仕事というものの本質により近いのかも知れません。

 そうであるならばどんな仕事であっても、『仕事』として世の中に成立している以上、そこには必要とされる喜びがあるはずです。けれども現実にはそうではないというのは簡単に想像できるでしょう。それはなんでなのか?

 比較的すぐに思いつくのは、自分がやっている業務や作業が大きな組織の中でいろいろな人の関与を経てひとつのまとまった『仕事』として世に出るまでには、物理的・時間的・心理的等々距離が遠すぎて自分の作業と結果を結びつけて想像することができないということがあるのではないでしょうか。
 あるいは生産ではなく消費の方向から考えると、自分もある過程で関与して世に送り出された『仕事』は、確かに消費者を笑顔にさせたり役に立ったり喜ばれているのですが、市場の流通経路は現代はとても複雑なので直接それを五感で感じることが出来ません。そのために自分の『仕事』が人を喜ばせているとは実感できないということもあるかも知れません。

 そう考えると、たとえば先鋭的な例ではたとえばディズニーランドのキャスト、もっと日常的にはブティックなどのお店での接客業などが学生のアルバイトとして人気があるというのは理解できます。自分が目の前のお客さんに働きかけて、そしてそのお客さんが喜んでくれたり反応してくれたら嬉しいのはもっともです。

 ご多聞に漏れず、実は私も昔それが「仕事の喜び」のひとつだと思っていました。もちろんもっと成果を求められる正社員の仕事をこなす上では、相手の顔が見えない仕事でも「達成感」「自己有能感」「成長感」などのモチベーションもたくさんあることが分かるようになってはいましたが、やはり他者と嬉しい感情を一瞬でも共有できる体験が出来るというのが、理屈抜きの仕事の喜びだと思っていました。
  
 そんなこともあって、退職後に選んだ今のバイトがコンビニでの接客業ということもあるのですが・・・・コンビニで働き始めて2年弱経った今、「お客さんに喜んでもらうと嬉しい」の内容が少し変わって感じられるようになってきました。
 以前の仕事でも、またコンビニで仕事でも、たまにお客さんから逆に「ありがとう」と言ってもらえることがあります。以前はこれがすごく嬉しく感じられました。2ちゃんねるにはコンビニバイトの愚痴を書き散らすスレッドがあり、そこでも「お客さんにありがとうって言われると涙が出そうになるほど嬉しい」というような書き込みもいくつかありますから、決して突飛な感情ではないと思います。

 ・・・なんですが、いつの間にか最近、自分が違う感情に心を占められていることに気づきました。お客さんから「ありがとう」と言われると今まで通り「嬉しい!」と思うのですが、同時に「こんなことぐらいで嬉しいのか」と自分を見下げるような自分の内面の声が聞こえてくるようになったのです!

 いったいこの内面はどこからやってくるのか?
 恐らく、私が仕事で得たいと思っている喜びや満足感というのは、「自分が○○をしたからお客さんから喜んでもらえた」ということではないようです。それよりもその内面は「私は自分の活動によって、目の前の特定のお客さんではなく社会に何かを提供できているのか?」と囁いてくるのです。

 確かに目の前のお客さんから感謝されたら嬉しい。でも、その喜びはその場の一瞬で過去になってしまいます。それよりも、目の前で感謝の言葉を聞くよりも自分の『仕事』が確実に社会に何らかの役割を果たしていることに自負心を持ちたいと思うようになっているようです。
 
 どちらがより高尚だとか視点が高度だとか、私にも分かりません。ただ昔の私のように、「社会にとって意義ある仕事には必ず利他的な喜びがあるに違いない」といったような硬直した考えはいつの間にか消えてしまいました。いくら社会的に意義のある仕事であっても、社会の評価は基本的に純粋に『仕事』に浴びせられるのが自然なのではないでしょうか。そこに自負心を持とうが持つまいが、そこから先はむしろ当人の問題であり、その意味で仕事の喜びとはやはり自己満足なのかも知れないという気がします。
 
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テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

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