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pafume『マカロニ』

 今日ご飯を食べたあとネットで遊んでいたら、なんとはなしに井上陽水の『夢の中へ』が鼻歌になって出てきました。
 この曲って私はリアルタイムでは知らないのに、不思議なことに2番まで歌詞も完璧に歌えるんです。しかし前から、とっても調子のよいリズムとメロディなのに歌詞は意味がよく分からないと思ってました。

 鼻歌で完璧に歌ってるうちに、ふと『どんな意味の歌詞なんだろ?』と気になって、youtubeで検索してライブ映像を見てみたのです。

 なんか・・・・私の記憶にあるよりも、ずっとずっと弾むような楽しそうな曲!そしてやはりこの曲の一番の魅力は歌詞なのでした。
 特に秀逸なのは2番ですよね!

『休むことも許されず 
 笑うことはとめられて
 這いつくばって 這いつくばって 一体なにを探しているのか
 探すのをやめたとき
 見つかることも よくある話で
 踊りましょう 夢の中へ 行ってみたいと思いませんか』

 これを井上陽水の弾むような歌声で聴いた時、思わず涙が出てしまいました。たぶん私、疲れてるんでしょうね・・・。
 この歌詞に書いてあることは、なんだか私のことみたいです。自分でも、なにを探しているんだ、なんでそんなに探さないといけないんだ、いっそ探しものを諦めたらふっと見つかるんじゃないか・・・・って、そんな風に思うときもあるんです。

 独身で一人暮らしの時は、辛い気持ちのときはよく心にぐっとくる曲を聴いて、涙を流してカタルシスを得ていました。だけど結婚してからはそれまで一番のストレスだった仕事がなくなって、そこまで自分の気持ちを抑えることもなくなったんでしょうね。あんまりそういうことをしなくなってしまい、それと同時に音楽を聴くということもほとんどしなくなってしまいました。
 ですが、今日久しぶりになぜか井上陽水の曲を聴いて、音楽で心が開放される気持ちよさを思い出してしまいました。その曲だけでは物足りなくなってしまい。次に私が聴きたいと記憶から思い出したのは・・・

                             pafume 『マカロニ            

なんです。これもまた唐突ですが。

 パフュームは『ポリリズム』を初めて聴いて、すごくショックを受けたんです。私は音楽に疎いんで間違ったことを言ってたらご指摘いただきたいのですが、ハウスミュージックとポップスがあんな風に融合するなんて奇跡のようだと思います。それまで私はハウスは正直嫌いだったんですが、認識を改めました。 

 しかしそれ以外の曲を追いかけるところまでは熱心ではなく、そういうすごいアイドルがいるんだ・・・という程度で私の中では止まってました。

 『マカロニ』を聴いたのも、たまたま仕事中にお店の有線でかかってたから。サビの部分の『分からないことだらけ でも安心できるの』というフレーズがものすごくものすごく強烈にインパクト強く、仕事が終わっても頭の中でぐるぐる廻ってるくらい、響くものがありました。

 『夢の中へ』の次に、続けて優しい曲が聞きたくて、またまたYoutubeで検索して初めてイントロからじっくりと聴いたのですが・・・・・・。

 これは凄い!!!喉元まで出掛かっていてどうしても思い出せないのですが、このイントロは昔聴いた懐かしい音楽を彷彿とさせます。強いて名前を出すなら、松任谷正隆でしょうか?この曲を作詞作曲した中田ヤスタカという人は、きっとものすごくいろんな曲を聴いて育ってきた人なんだなぁ・・・と想像してしまいました。

 この曲を聴いて何かを思い出したり、安らぐ感情を抱いたりするのは私だけではないようで、Youtubeのコメントには「切なくなる、そして懐かしさを感じる」というようなコメントも。
 
 疲れている方にはぜひ一度聴いてみていただきたい名曲です。
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テーマ : 心に沁みる曲 - ジャンル : 音楽

ライター通信講座

 今日は、バイト先のオーナーに、まだしばらくバイトは続ける旨を伝えてきました。気持ち的には仕事をしていても怒りやら悲しみやらいろんな感情が一杯に溢れてきて、正直辛いのですが、自分に何が出来るのかまだ全く固まっていない状態。今ここで感情で性急に動いてもあまりいいことはありません。次の仕事が見えてくるまでは何よりも自分の精神状態が不安定でしょう。それに加えて経済的な不安まで抱えてしまったら最悪です。私のことだからそれじゃあ潰れてしまうと思う・・。ズルイようでも使えるカードはぎりぎりまで取っとかないと。

 バイトが終わって家に着き、ポストを覗いたら案の定、ライター養成学校の資料が届いていました。きっと学費はぼったくりなんだろうなぁ、しかもどんな学校なんだかよく知らないし・・・と期待せずに開封。

 さぁライターの通信講座はいくらなんだ??・・・・って、探しても探してもそれについての項目がない。おかしいと思ってさらによく見たら・・・何と、「脚本家コース」「フリーライターコース」「作詞家コース」と3つあるうち、「フリーライターコース」だけには通信講座がなかったのでした!!!
 なんで?!どこまで私、運がないんだろう・・・・(泣)。
 がっくりしながらも内心では何か細い糸でも掴めないかと期待して取り寄せた書類だけに、捨てるに捨てられず、しばらく肩を落としたまま脚本家コースなどの要綱を読んでいました。
 すると!なんと講師陣の中には私が大大大尊敬する山田太一さんのお名前があるではありませんか!こんな方が参加しているのなら、ここは怪しいぼったくり学校なんかじゃないよ!私は脚本家にはなろうと思わないけど、山田太一さんの講義を聴くためだけでも参加したいよ!
 ・・・と思って学校の所在地を見たら、六本木でした。あちゃ?・・・。これが3年前だったら、電車で簡単に通えてたのに・・・(涙)。どこまでもどこまでも、私の職業人生のカギを握る神様には嫌われてます。どうすればいいんだか・・・。

テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

カウンセリングに対して

 実は私には、心のどこかで拘りつつも、同時に嫌悪感に近い感情も抱いている仕事があります。それはカウンセリングの仕事です。
 もともと精神医学の領域に興味があったので、大学は心理学部に進学しました。しかし、(恐らく今でもそうだと思うのですが)文系で精神科領域で必要とされる専門職はかなり限られており、正規の職員としての採用も少ないと言われていました。
 臨床心理士の資格を取るためには大学院修士課程を修めていなければならなかったのですが、私は大学院受験で不合格だったため、その道を諦めました。
 
 やり残したことに後悔があるのか、自分ではそのつもりはなくてもどこかでまだそのような仕事に拘っているところがあるのだと思います。なんとなく自分で分かっているのは、対人的な仕事が好きだということと、経験を積むほど探求的になれる仕事が好きらしいということです。
 それではカウンセラーに拘ることはないではないかと言われそうですが、カウンセラーを指向したのは、人間の心のしくみに興味があったことであって、文系でそれに携われる仕事といったらカウンセラーくらいしか思いつかなかったというのが正直なところです。

 未だにカウンセリングの仕事にプラスのイメージだけを抱いているのなら、恐らくもっとはっきりとその仕事に対して憧れの気持ちを持っていると思います。しかし10年以上会社員の仕事をやった経験から、今ではカウンセリングの仕事に対して疑問も感じています。

 仕事ですから、お客さんから求められる成果を出してこそ報酬が得られます。カウンセリングで求められる結果とは、もちろん「症状が治まる」とか「悩みが解決する、気持ちがすっきりする」というようなことでしょう。 
 身体の病気に対して薬が効くのは、病気のメカニズムや薬の薬理作用がどんなものかが分かっていて、これを投与すれば体内でどういうことが起こって症状が消失するという因果関係が明確だからです。しかし心の不調というのは、現代でももちろんまだ本当のしくみが分かっていません。当然ですが、顕微鏡で覗いたりレントゲンで観察したり出来ませんから、客観的に把握するのは非常に難しいです。

 だからこそ昔から、いろいろな精神科医や心理学者、分析家などがいろいろな人間心理についての理論を打ち立て、それに基づいて治療方法を編み出しました。精神分析や来談者中心療法などです。
 どんな療法でもおそらく必ず効果が出ないクライエントさんもいるはずです。逆に、治ったクライエントさんでも、「なぜその療法が効いたのか」ということは本当のところは分かりません。さっきも書いたように、レントゲンや胃カメラで観察することが出来ない以上、「この療法を施した」というスタートから「症状がなくなった」「心か落ち着いた」というゴールまでの間の過程はブラックボックスです。心理療法でよくなったという患者さんの中には、もしかしたら「ひたすら聞いてもらえたことで気持ちが楽になった」というだけの人もいるのかも知れません。そうなったら、カウンセリングって何だろう・・?と思うようになったのです。
 もちろんプロの方の中には、「それでも結果的に患者さんが楽になって救われたのなら、それでカウンセリングは役に立ったんだ」と解釈される方もいらっしゃると思いますが、私がお金を払ってカウンセリングを受ける患者の立場であれば、ちょっと納得できないような気がします。

 そうは言いながらも、最近の私も含めて、今の世の中には「どうしたらいいか分からない」「自分で自分の感情を抱えきれない」などの心理的な不調を感じている人がどんどん溢れていることも感じます。
 今回、自分のこれからの仕事を見つけようと考えたとき、「自分もまた必要としているサービスは、社会からも必要とされている」と思い、その直感を仕事探しの羅針盤にしようと思っていました。その意味では今、私がもやもやしている気持ちを吐き出したいとか聞いて支えて欲しいと思っている気持ちは、そのまま社会がカウンセラーに期待している気持ちでしょう。
 でも恐らく、純粋な自然科学のようにはこころの分野にはまだそれに応えられる客観的な解答がないのでしょう。だから私のように、カウンセリングとはどうしてもどこか胡散臭さというか曖昧さが残ってしまって本気になれないのだと思います。

 対人援助の仕事とは、広く解釈すれば社会に存在する仕事全てがそうであるとも言えますし。そう考えれば何をやったって自分の希望にかなうはずなのですが、やっぱりどこかで、もっと肌で実感できる何かを得たいという気持ちもあります。



テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

とりあえずデータ入力のアルバイトに・・・・

 今日は、不安ではちきれそうになりながら、データ入力のアルバイト応募のフォームをバイト募集の企業に送りました。

 自分にデータ入力なんて出来るのか???ものすごくものすごく不安です・・・!!根気のない性格、いい加減な性格、刺激のあるほうが好きな性格などなど、どこを切り取っても正確に素早くコツコツとこなすことが求められるデータ入力に適性があるとは思えません。

 それなのにどうして思い切って応募したのか?それは、今朝出張先から電話してきてくれたダンナとの会話が発端でした。
 昨夜は枕が変わったせいかホテルでぐっすり眠れなかった夫。深夜に目が覚めてしまい、仕方なくパソコンでこのブログを久しぶりに読んでくれたのでした。
 感想は「なんか難しいことをダラダラと書いてるなぁ・・・」だそうな。ま、まったく見直しもせず、自分の気持ちの整理にと書きなぐっているだけなので、そう言われてもごもっともで腹も立ちません。ダンナの勤めている会社も今の時代、かなり厳しいことを社員に要求してきますが、泣き言も言わず30年近く真面目に勤務しているダンナから見たら、「こんなに不必要に仕事を難しく捉えるんではなくて、在宅で出来る既存の仕事を始めればいいじゃん?」と言いたいのでしょう。

 私も既に41歳のオバハンです。20代の頃のように、「私のキャリアはなんとかカントカ?!」と頭でっかちな青臭いことを強弁するのは、現実から少々ずれているっていうのも分かってるつもりです。自分にとっての適職というのは、始める前に頭で抜け目なく考えて選んだから正解するというものでもなくて、なんというか『肌に合う』というような感覚的な選択基準もクリアしないと本当の天職にはならないと思っています。ですので、多少廻り道でも「歩きながら考える」、つまり「とりあえず今の自分に出来る範囲の仕事の中で、自分の理想にベターなことをしながら、次のことを考える」というくらいでいいのではないでしょうか。

 実は今、ライター養成の通信教育講座の資料が届くのを待っているのです。前回取り寄せたライター養成学校の資料は、通学講座のみ。しかしその後、ライター養成にも通信教育があるというのを知って、メールを送ったのです。それから既に3、4日経つのですが、一向に届かない。前の学校は中1日ですぐ来たのに・・・。

 自分はライターなる仕事を選択するつもりなのかと言われたら、正直全く分かりません。というか、ライターの仕事といわれて想像できるのは、よく雑誌などに署名入りで掲載されているインタビュー記事のように、既に出来上がった仕事しか思いつかないです。そこに至るまでの地道な作業がライター仕事の本質なのだと思いますが、ライターさんが何をやっているのか、全く想像できません。
 ですからライター講座の資料取り寄せも、半分はどんなことをする仕事なのかを覗く手がかり、半分は冷やかしみたいなものです。そのつもりであっても、一応次の仕事を考える細?い蜘蛛の糸には違いないわけで・・・・。それが届かないと落ち着きません。

 今日自分に出来ることは何かないか?これが最近毎日の私の心の声です。今日は「SOHO」「在宅」で検索してみました。
 それと同時に、「在宅ワークハンドブック」をもう一度読み直し。そもそも組織に所属しない仕事とはどんな仕事があるのか、それを確認です。

 ハンドブックでは、
? ワープロ入力
? テープおこし
? データ入力・・・
など、これ以降もいくつか項目が挙げられています。ここまで分かりやすく書かれてはいるのですが、それでも自分がもっとはっきり仕事をしているところを想像できないのはなぜだろう・・・?
 一体、顧客とは誰で、どんな形で仕事が来て、何をすることが求められるのか?今私がネットを見ているこのPCの家庭用ソフトで、文章かなにかをベタ打ちすればいいの??
 ・・・って、こう具体的にイメージしようとすると分からないことだらけじゃん!!

 ということで、「在宅」「SOHO」で検索して出てきた情報の一つである「ホームワーカーズ・ウェブ」の無料電話相談窓口に電話してみました。なぜここを選んだかと言えば、「当サイトは、厚生労働省の委託により、財団法人社会経済生産性本部が運営しております。」とあったからです。やっぱり営利目的の企業では、もしかして困っている人間の足元に付け込むようなこともないとは限らないので、怖くて電話なぞかけられません。

 電話に出てくれた職員の方に、自分の疑問をとりあえずぶつけてみました。
「ワープロ入力とハンドブックに書かれていたが、具体的には何をどうする仕事?」
「顧客企業はどんなところ?どうやって仕事を受注するの?個人が対企業に営業して相手にされるもの?」
「自分を売り込むに当たって、どんな仕事かが分からないから何をどう売り込んでいいのか分からない」
といったような質問です。

 まず一番目の質問である「ワープロ入力とは何か?」というのは、要はデータ入力の一種だそうです。データというのでてっきり私は数字の入力とテキストの入力は分けて考えるんだと思っていましたが、その区別に意味はないみたい。企業からは紙ベースでデータが来るので、それを主にエクセルにどんどん入力していくというのが概要のようです。
 そしてこの方からの話の肝が、二つ目の質問に対する答えでした。
 「仕事の探し方」、これはズバリ個人が企業に営業をかけてゲットするのだそうです。その方曰く、これがネックになってほとんどの方が仕事化するまでに至らないということでした。
 う?ん、私自身にそれが出来るかと想像すると・・・・。少なくとも行動は起こせそうです。なんたって昔は法人営業担当の仕事をやってたので、飛び込み営業とかやってたのでなんとな?く心理的な敷居はそれほど高くはないように感じます。 
 だけどだけど、企業を訪問できればそれで『営業』なのかって言ったら、もちろんそうではないじゃないですか!肝心なのは売り込むサービスですよ。「私パソコンの入力できますから仕事ください」ってんじゃあ仕事なんてもらえる訳がないですよね。売り込むためには、まずデータ入力がどんな仕事でどんな成果が求められているかが分かっていないといけませんし、自分の仕事はこの水準が出来るということが出来れば客観的に説明できないと、商談(?)にならないじゃないですか。そもそも、電話の相手の方は「ご自分で企業を廻ってください」と言っていますが、仕事の内容もよく分からないのだからどんな企業に需要があるのかも分かりません。また今までの経験でも、日本の企業社会って結局は人脈文化なので、誰の紹介でもない個人が突然企業に打ち込みに来ても、そうそう相手にはしてくれません。
 そういった疑問も更に聞いてみると、いくつか需要があると思われる業種を挙げてはくれたのですが、結局最後は「民間の会社の仲介というやり方もあります。」だそうな。たしかに企業なら、最初にスキルチェックをしてくれたり講習みたいなものがあったりはしそうだから、「自分がこの仕事をどの程度できるのか?」について、もう少し具体的に分からせてもらえるでしょう。しかし、人材と求人をより適切に結びつけることがこういった機関の目的のひとつなのでしょうから、未経験の人間を新しい仕事にガイドするための手立てもなく、「民間を使ってください」と投げちゃうのは如何なものか??
 たぶん今の日本はどんどん高齢化が進んでいく上で、社会を支える壮年労働力を確保することが重要になってきているのだと思います。ですから育児や介護などで就職することが出来ない女性の労働力を活用するために、国もSOHO市場の成熟を促しているのでこのような機関が存在しているのだと思います。とってもありがたいことだし私たちのニーズとも合致していると思うのですが、できれば求職者の視点に立ってもう一歩踏み込んで欲しい!せっかく私たちの税金を使っているのですから!

 ちょっと脱線してしまいましたが、ここまで聞いたらこの機関に求めることはとりあえずないだろう。こうなったらしょうがないからダメモトで民間の企業に応募してみるか・・・。
 で、さっき応募フォームを送ったのです。後日電話がかかってくるらしいですが、場合によってはそのまま無視されることもあるみたい。まぁ未経験だしこの歳だし、それも覚悟してます。どうなることやら・・・。
 
 

テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

CPS-Jで仕事診断した結果

 この前読んだ『職業とは何か』の本の中で、「CPS?J」という職業診断テストが紹介されていました。もちろんエンターテインメント性は一切無い、真面目な職業診断です。こういうのはそういえば昔、学生時代にやったことがあるような気もするのですが、社会に出てからはまったくやっていません。当然ですが・・・。仕事を見つけられない今、やっておくべきでしょう!

 てっきりどこかにメールか電話をして質問用紙を購入するのだとばかり思っていたら・・・・時代はもはやそんなアナログなことはしてなかったんですね。しっかりweb上で、カード決済で受けることができました(ちなみに2625円です)。もちろん結果もその場ですぐに見れます。

 これは、その人の興味のある分野と能力のある分野をそれぞれ自己回答で集計し、2つが重なり合った分野に適性があると診断します。
 私の場合の適性は・・

「医療および保健・介護」:保健医療の仕事・・・栄養士/看護婦(夫)/整体師/鍼灸師/保健婦
             指導・援助の仕事・・・スポーツ指導員/カウンセラー/心理相談員                      介護サービスの仕事・・・社会福祉士/介護福祉士/ホームヘルパー(介護)
「教育および関連サービス」:学校教育の仕事・・・・小中高の教師・大学の教職員/各種学校の先生
              個人教育の仕事・・・ アスレチック指導員・コーチ・トレーナー/茶・華道の先生
              ビジネス教育の仕事 ビジネススクールの先生
「応用言語(文学・話芸)」:広告デザインの仕事 ・・・コピーライター/広告プランナー/クリエーター
              法務の仕事 ・・・弁護士/裁判官/検事/法務担当
              著述・編集・報道の仕事・・・ 編集者/テクニカルライター/コラムニスト/文芸評論家/翻訳業務/記者・取材者/レポーター/著述家(ライター)
「社会・行政サービス」:公務の仕事・・・ 公務員/消費調査担当者/消費生活相談員
            福祉の仕事・・・ ホームヘルパー(家事援助)/余暇指導員
             保安の仕事・・・ 警察官/ガードマン/消防士  

これらがピックアップされました。

 たとえば仕事を遂行する能力のある分野の診断にしても自己診断ですから、まぁ厳密に客観的な評価ではないです。極端な話、自分で「私は文才がある!」と思い込んでいればそのように回答しますから、結果もそうなりますよね。
 だからだと思いますが、ここで挙げられている職業は、自分で何をしたらいいかいろいろと考えている間に、どれも一度は考えてみた仕事ばっかりなのです。そういう意味では、自分の気づかないところに光を当ててくれるというよりは、文面にして自分の念頭にある仕事の種類を整理してくれたというテストだと思います。

 この結果を見たときに、どれもなんとなく今ひとつこれ!って言えないなぁ・・・って思ったのです。最初、それは自分でも薄々見当がついていた職業ばかりだからだと思っていたのですが、もしかしてそればかりではないという気がしてきました。

 これらの職業をあらためて見てみると、ほとんどの職業は資格や長年の経験が必要な『専門職』なのです!当たり前ですよね。そもそも例えば「会社員になります」というのは、いわばあくまでも「仕事選び」であって、「会社員」という職業ではないのですから。職業というからには、お金を稼げる行為のことを指すニュアンスを私は強く感じます。私が今したいと思っているのは「職業」を選ぶということなんだなぁ!!
「仕事選び」だったら、コンビニの販売員だって「会社員」という名称と変わらないでしょう。

 恐らくこのテストの結果を見てピンとこなかったのは、「今の自分が出来る仕事がない」からだと思います。多分、私は「社会福祉士?なるためには何年どれだけお金がかかるのだろう?今仕事には出来ないよ。」と、無意識のうちに時間をかけることや勉強にエネルギーを費やす仕事を避けてたんですね。  
 そこまで意識できているのに、同時に「でも今から時間とお金をかけて何かの職業の訓練を積んでも、挙句に『自分にはやっぱりしっくりこない』となったら・・・もう若くないしそこから更にやり直しする時間もないんでは?間違えられないよ、怖いよ・・・」って気持ちもあるのです。

 だから、もしかして天職の3つの要件の1つ目「やりたいことは何でもやってみる」と言われるのかも知れません。複数を同時並行でもいいから、いろいろと実際にやってみて肌で確認しないと進まないんでしょうね。

テーマ : 働くということ - ジャンル : 就職・お仕事

ゆっくりランで気持ちいい5km

 今朝はタイムも測らず、ダンナと2人で5kmをゆっくり走りました。
 なんか最近は全然走ってないし、なにより気分的にストイックに走る気分ではありません。もうとにかくの?んびり、気持ちよく走りたい・・・・。

 なので、いつもならついついダンナのペースを待てないで先走って走ってしまい、おかげでダンナまでペースを狂わされて5km走りきれずに歩いてしまうんですが、今日はむしろ私もダンナのペースで走りたい気分。なんだか歩くのと変わらないようなペースながらも一応走って、久しぶりに2人揃って5km完走しました。

 しかしこんな風にのんびり走ると、いつもなら気づかない花や風景がくっきりと目に飛び込んできます。やっぱりこんなのんびりランが気持ちいい。頑張って練習して速くなることももちろん達成感があるけれど、最近のように心が疲れている時は、ゆっくりランが一番の癒しみたいです。

 ダンナと2人だったので5kmで終わりましたが、10kmくらい走りたかったなぁ・・・・・。

テーマ : RUNにまつわるよもやま話 - ジャンル : 趣味・実用

「女性と仕事の未来館」でキャリアカウンセリング

 この前記事で紹介した「在宅ワークハンドブック」に、キャリアカウンセリングについての電話相談を受けてくれる機関があることが書かれていました。どうやら「財団法人 女性労働協会」というところのようです。

 電話相談は日曜と月曜がお休みです。このサービスがあることを知ったのは金曜日だったので、土曜日にさっそく電話してみました。

 電話はすぐ繋がりました。出てくれた女性の方は自社を「女性と仕事の未来館」と名乗っています。どうやらここを運営しているのが財団法人 女性労働協会で、サービスを受けられる建物が「女性と仕事の未来館」ということのようです。

 私は、キャリアカウンセリングなるものはもちろん初めてです。何が不安かと言えば、質問の内容があまりにも漠然としすぎていること。「こういう仕事をしたいがどうすればいいか?」という質問なら答えはありそうですが、「仕事はしたいけど何をすればいいか分からない」なんて、なんだかふざけた質問みたいでしょう。
 ですから、恐る恐る「キャリアカウンセリングを受けたい」と切り出したのですが、相手の職員の方は優しく「ではどんなご相談か聞かせていただけますか?」と言ってくれました。これでちょっと安心です。少なくとも、的外れな素相談なら最初にそのように言ってくれるでしょうから。

 上に書いたような、なんだか雲を掴むような相談の内容を伝えたところ、ありがたいことに「そういうご質問こそこちらに相談いただくのがふさわしいんですよ。」と言っていただけました。へぇ?!今はこんなにきめ細かく女性の仕事を考えられる手助けがあるんですね^^。
 その方はさっそく「相談は予約していただいて、こちらにご来館いただいて伺います」と仰います。ああ?やっぱりかぁ。在宅ワークハンドブックにもそれらしきことが書いてあったしね。
 しかし女性と仕事の未来館は東京なのです。私は大阪。ダンナは仕事でしょっちゅう東京に行きますが、私はわざわざ旅費をかけて行かないといけません。
 地方で同じようなサービスが受けられないのかと聞いてみると、その職員の方は電話しながらそのような機関をいくつか検索して紹介してくれました。
 しかし私が薄々想像していたように、地方にあるそういった機関はどちらかというと『就職相談』の機能が強いということなのです。そういうところに私のような整理しきれていない問題を持ちかけると、最初に心配していたように持て余されてしまう可能性もあるみたい。
 かといって今すぐ「じゃあ東京に行きます!」と言えるわけもなく、電話を切らせていただきました。

 この記事を書くにあたって、「女性と仕事の未来館」のHPを開いてみました。どうやら来館して相談できない人のためにEメール相談もやっているらしい。しかも過去に寄せられたEメール相談を「事例」として公開していますから、どんな突っ込んだ内容の答えが返ってくるのか見ることもできます。(もちろん自分の悩みに近い質問を捜すことも出来ますし。)
 しかししょうがないのですが、やっぱり文面だけでは今までいろいろなサイトなどで見たキャリア相談のアドバイスとあまり変わりません。どうしても一般論のような答えになってしまっている感じです。もちろん「事例」として公表する以上、もともとの相談内容を一般論にぼかしてあるからというのもあるのでしょうが。本当はもっと個別の状況に突っ込んだ答えがあるといいんだけど・・・・。
 もう少し試行錯誤してみて、やっぱり気になるようなら東京に行くかも知れません。

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「出来ない理由探し」をしてないか?

 最初からおかしなことを言いますが、ここ最近のブログのテーマは、見ていただいた方の役に立つかどうかということは全く考えていません。
 いや、全く考えていないというのは少し言いすぎでした。もし万が一、ご自分の仕事について迷われている方がいらしたら、もしかして何かしらのヒントくらいにはなったらいいな・・・とは思って書いているのですが。
 「役に立つことは考えていない」というのは、そもそもこのテーマについて書き始めたのは自分の思考を整理するためであって、読まれる方の視点を意識してサービスするような話題には触れないという意味です。

 そうやって愚にもつかないことを何度も何度もしつこく書いています。繰り返し書いているうちに、同じ問題でもその度に見る視点が変わってきます。

 そもそも最初に「いよいよ本当に仕事を考えなきゃ!」と思うようになった一番の理由は、一番目に転勤族であること、二番目には既に40代という年齢であることでした。

 「転勤を繰り返すのだから、その都度就職活動をするのは難しいだろう」
 「既に40代だから、これから企業に勤めるのは無理だろう」

 転勤族であることも年齢も事実なので、それを踏まえて仕事を選ぶのは現実的です。そこから「どこかに所属しないで仕事できることをやろう」と考えるようになったのですが、なんだかいつの間にか「『?できないから』個人で出来る仕事を探そう」と、それを選択した理由を無理矢理探して『再就職できない理由』に固執していたような気がしてきました。

 もう一度再就職したければ、怖がらずに挑戦してみればいいだけです(それを言い訳で固めるのは、失敗した時のための言い訳なんですよね)。
 自分はやりたいことは何でも出来る自由がある。それなのに「?だから『出来ない』のでこうするしかない」とわざわざ不自由な縛りをかけるのは、毎日がとっても窮屈な気分になります。
 どうせなら、「私は自分で仕事がしたいんだ!」と積極的な選択をしたつもりになりましょう!私は状況に迫られてやむを得ず選択の幅を狭めているのではなく、ここらでそろそろ自分のやりたい仕事にシフトするんだ!とポジティブに考えるようにします。

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土俵を降りたから

 我が家は普段、ダンナが仕事の出張で家にいません。きっと普通なら、一週間のうち1泊とか2泊を外泊することを「出張」というのでしょうが、面白いことにウチのダンナのお仕事は地方各地の営業拠点を次々と回ることなので、我が家で過ごすのが一週間のうち1泊とか2泊だったりするのです。

 必然的に、私はほぼ毎日家では猫とふたりっきりです。まぁ猫が居てくれるだけマシなのですが(やっぱり猫であっても、本当の一人きりとは違います!)、口をきく相手は誰もいません。ここに書きなぐっているいるような悶々とした思いは、普段心の中にしまいっ放しです。

 頭の中だけでぐるぐると考えていると疲れますし、何よりも自分の考えが視野狭窄に陥っていてもそれに気がつけません。というわけで、「人に話を聴いてもらったら、何か違う糸口が見えてくるかも知れない」と期待して、「いのちの電話」なるものに電話してみました。

 3月は木の芽時、うつ病の発生が多くなったり自殺者が増加する時期です。そんなこともあるせいか、電話はなかなか繋がらなかったのですが、何度かトライしてみたらとうとう繋がりました。なんだか顔も名前も全く知らない相手の人に、名前も告げずに自分の深刻な話を切り出すのって、なにか変な感じでちょっとそわそわして落ち着きません。

 私は、まず最初に手っ取り早く相談したいことの概要を伝えようと「自分でなにか仕事を始めようと思っているが、いくら考えても肝心の仕事の内容が考え付かない」と切り出しました。恐らくいのちの電話の相談員の方は、職業相談などの訓練を受けたスペシャリストではなく、あくまでも心理的な問題に特化して相談を受ける訓練をしているのではないでしょうか?ですからそもそも私の相談自体が、持ちかける先が違っているんです。それは分かっていることなので、はなから無理な相談なら向こうから断ってくれるだろう・・・と思って、最初にそう言ってみたわけです。

 あにはからんや、意外にもなんということはなく相談員さんは相槌を打って、自然に話を傾聴する方向へと誘導(?)します。なので、ここでズバリ欲しい答えが得られるとは思っていないながらも、自分の行き詰った考えに何かヒントが見つかれば・・・と、話を続けさせていただきました。

 だいぶ長くお話させていただきましたが・・・。やっぱり期待どおり(?)、この電話で「そうか私の仕事はこれだったのか!」というような発見はありませんでした。けれども、やっぱり相談員さんが上手く(というとなんだか語弊がありますが、決して悪い意味ではないつもりです)私の気持ちを聞き出してくれたおかげなのか、今の私がなんでこんなに苦しんでいるのか、私の人生上での今回の問題の意味のようなものは分かった気がします。

 今、私が職業選択でこんなに悩んでいることも必然なら、どんな仕事をすればいいのか皆目見当がつかないのも必然ではないでしょうか。
 私は自分でも今まで分かっていませんでしたが、この歳までサラリーマン一直線で他に何もない生活をしてきたのは、結局は『安定が第一、不安定なのは怖い』という気持ちから出た選択だったのだということに気がつきました。どこかでずっと無理を感じていても、「正社員雇用のサラリーマン」という土俵から今までずっと降りようとしていなかったのです。その枠の中にいればまずは安心だから。
 自分は、自分が無意識に望んでそこに留まっていたんだということに全然気がついていませんでした。ですので結婚と同時に退職、引越ししなければならない局面に至っても、「いよいよ自分は土俵を降りるんだ」なんてことは全く意識していなかったのです。ただ単に、「主婦になったら家計の大黒柱はダンナに移るから、自分は引越し先で補助的な仕事をしれいればいいんだ」と、生活パターンの変化に合わせて働き方を変えるだけなんだという程度にしか思っていませんでした。

 「転勤するたびに新しい土地でバイトを見つければ、別にそんなに悩まなくていいじゃないか。わざわざ面倒な悩みにまで、単なる転勤と仕事変えの問題を持ち上げているだけだ」と言われるかも知れません。そう思うのは、おかしな話ですが自分でも「単にアルバイトを転々とすればいいのであって、もし先々年齢や土地柄でバイトが見つからなければその時考えればいいんじゃないか?自分で問題を複雑にしていないか?」という気もするからです。
 それも一理あるのですが・・・・・今のままでは自分の未来に希望が見えないことを感じているのです。
 詳しくは書けませんが、まるで必然の偶然であるかのように、1月下旬から最近まで、仕事も私生活も動揺するようなことが集中して起こりました。それらの経験を通じて私が知ったことの一つは、
「バイトの仕事とは、ただの作業でそれ以上は期待されない。何年やっても何かが向上していく手ごたえや喜びは感じられない」ということでした。むしろ、それを私が今のバイト先に期待しすぎたために、雇用主や同僚とのとの歯車が狂ってきたような感さえあります。バイトは言われたことから出すぎたことをしないのも仕事のうちなのです。

 「あなたは、あなたの出勤する時間のことだけ考えていればいい」と他の同僚から言われました。いろんなゴタゴタで疲れていたので、それからはそれを心がけていたのですが・・・何というか、つくづく自分が荒れていきます。

 やっぱり人間は、未来に繋がっていると思えると今を大事に出来るんだと思います。「今が楽ならいい」というのは(もちろん私にも自堕落な心理は多分にありますが)、楽ではあっても楽しくはまったくない。毎日を楽しく生きたいなら、やっぱり張り合いは必要なのです。

 だから、今の私の悩みが大したことのない問題を過大に考えているだけだとは言い切れない・・・とも思います。今、安定し守られてはいるけど窮屈な土俵を降りたのなら、引越した先で流れにまかせてその場その場のバイトでしのいでいくやり方は、ある意味、今度は「ダンナの勤め先」という土俵に守られることを期待した、また同じレールに乗っかった生き方を繰り返すことなのだと思います。(もちろんそれを好むか嫌うかはその人の好みです。)

 考えてみれば、今までの私の人生上の選択というのは、いわばどれも「相手から選択肢を提供された中で、どれを引くか」の選択だった気がします。
 例えば学校を卒業して企業を選ぶ場合。恥ずかしながら、今ほどにすら「自分は何の仕事をするか」ということを考えていなかったです。もっと単純に、条件や会社の規模で、自分が入れそうな候補の中から消去法のように選んでいました。だからこそ入社してから、社業に違和感を持ち続けることになったのでしょうが・・。社会の中では、「学校を卒業したら企業に就職する」という自動のエスカレータのような道が引かれていて、そのエスカレータに乗っかりさえすればあとはいくつかやって来る求人の中から選ぶ・・・というシステムが出来ています。なんだかレストランで席に座ると、「AコースかBコースかCコースのどれにしますか?」とメニューを差し出されたみたいです。

 だけど、期せずしてその土俵を降りた私は、今度は誰も選択肢を差し出してくれない中で仕事を決めなければなりません。何もない茫漠とした世界から何かを選択するのは大変です。今私が途方に暮れているのは、そういうことなのでしょう。相談員さんとの電話のおかげで、自分が今どこにいるのか少し見えたと思います。

 今は自分がこれまで経験したことのない選択のときに立っていると考えたら、エリクソンの発達課題の話を思い出しました。
 中年期の発達課題は『生殖性vs自己停滞』。生殖性というのは今の自分にはピンと来ませんが、うまく課題を達成できなければ自己停滞に転落する危機感はかなり感じます。何としてもここはうまく乗り切らないといけません・・・。

 ついでにユングの『個性化』の話も思い出しました。まるで必然のように今までの仕事を考え直すことを迫られる出来事が続いたのは、これもなんだかユング的ではないか、と・・・。

 
 

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ナイチンゲール

 最近、ふとしたときに子供の頃読んだナイチンゲールの伝記を思い出すのです。
 ナイチンゲールとはいうまでもなく、初めて女性に看護師という仕事の門戸を開いた人です。
 どうやら当時は看護師というのは見下げられていた職業であり、まだ封建的だった当時では専ら身分の低い男性の仕事だったらしいです。
 ナイチンゲールは子供の頃からなぜかものすごく真剣に「自分の天職は何なのか?」ということを追求する子供だったそうですが、可愛がっていた犬が怪我をして生死をさまよった時に懸命に看護をして、そのときに自分の天命を悟りました。
 
 しかもナイチンゲールが凄いのは、単に自分で自分の道を見極めたのではなく、なんと「犬の看病の徹夜明けに、神様からの啓示を受けた」ところなのです!
 まぁ子供向けに書かれた伝記ですし、何と言っても自分が小学生のときに読んだきりの本なのでだいぶ記憶違いのところもあるかも知れませんが・・・。

 その後のナイチンゲールの活躍と女性の職業の歴史的な変革は言わずもがなです。
 新しく仕事を選び取るというのは、こんな風に「神様のお告げ」が稲妻のごとく降りてこないと見えてこないのでしょうか・・(泣)。
 いつもいつもレベルの低いところで同じことばかりグルグル考えていて疲れるので、そんな超人的な力がないと無理なのかな・・・と思ってしまいます。

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在宅ワークハンドブックで見えてきた、自分の考えの中身の無さ

 今日も早朝も目が覚めてしまいました。毎度のことながら、また仕事のことを考えると寝ていられなくなってしまって。まぁ今日は休日なので、最悪二度寝でもいいかla.

 ところですごく役に立ちそうなサイトを見つけました!

    『在宅ワークハンドブック』  http://www.homeworkers.jp/handbook/pdf/all.pdf 

 これは在宅ワークをこれから始めたい人にとって有益な情報を、とても上手く網羅的にまとめています。
 この中の第3章「在宅ワークを始めるための自己診断」というのが、今の私にぴったりでした。
 第3章によると、在宅の仕事を始めようと思っても何をしていいのか分からないならば、次のことをまずはじっくり考えてみるようにと書かれています。(もしこれを読んでいる方にもご自分の仕事を振り返る機会などが来たら、ためしにやってみてはいかがでしょうか。)

(1)自分は何か得意で何が不得意なのか。
(2)本当にやりたいことは何か?
(3)何をやっているときに充実感を感じるか?
(4)自分はどういうことに価値を感じるか?


 最初は、「え?っ、今までホントに流されて会社員をやってただけだから、こんなことわからないよ・・・」と思ったんですが、ちょっと大きめの白いレポート用紙に4つの質問を書き出して、まるで学生の頃のテストのように鉛筆を持ってしばらくそれとにらめっこしていれば、なんとか出てくるものです。
 これらの質問は、仕事に対する自分の好みや価値観を整理するためのものですから、答えるための手がかりにイメージするものは、必然的に過去の仕事の体験を振り返って、嬉しかったり上手くいったりしたことです。私の場合は、昔勤めていた会社で大きく3つの業務を経験しましたが、最後にやった営業の仕事が一番手ごたえがあったようで、その経験から「やりたいこと」も「充実感」もイメージしました。

 ・・・しかし、(2)、(3)、(4)の質問にはある程度答えが書けるのに、(1)だけはどんなに考えても一向に洞察が深まらないのです!!これって、『自分が社会の中で何が出来ます』っていう一番武器になる点なのに、そこが書けていないことに落ち込んでしまいました・・・・。

 それだけではないのです。私の仕事選びには、もっと致命的な不足点も見えてきました。
 例えば(2)での答え。いろいろ書きなぐりながら自分の思考を収斂していった最後の文章が、
「相手に本当に必要なものを見極めて提供すること。⇒ 相手の必要な情報を提供する。
 人が生きていくのに必要な『こと』に関わりたい。必要な『もの』でなく。」

 (3)では、
「達成したい目標に向かって努力しているとき。
 自分と顧客とのよい関係(信頼関係)を感じたとき。」

 (4)では
「自分がプロフェッショナルとして、生き方に一本筋が通っていること。」

 もうお分かりだと思いますが、どの答えにも『具体的な仕事の内容』が書かれていないのです!
 どうやら自分は、対人援助の仕事がしたいらしい。(まぁそれもまた、どんなビジネスモデルに乗せるかが全然見えないのですが・・・。)だけど「プロフェッショナル」って何のプロなのか?達成したい目標ってどんな目標か?相手が生きるのに必要な情報ってどんな分野の情報か?突っ込みどころ満載とはこのことです。

 いつもいつも自分は何をやっていくつもりなのか、力んではみるものの、何度やっても同じところをぐるぐると堂々めぐりしているだけのような気がします。悲しい・・・。
 こんな出口のない悶々だけど、いつかは次の地点に出られるのか???すごくすごく不安です・・・。

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おかしいのかな?

 前の記事で書いたように、自分が求めている仕事の条件を整理してみると結構シンプルです。
まぁたしかに組織に所属せずに仕事の需要を掴む、それ以前に仕事を一定のスキルに上げるってことを個人の仕事で実現するというのは難しいことですが。

 そして「専門性」については、「専門性」=「資格」と捉えられがちなのは当然ですよね。広く世間に必要とされる仕事ほど影響力は大きいですから、公益を損なわないように仕事してよい水準を守った人だけが仕事できるというわけです。つまり資格がある仕事というのはそれだけ需要もあるからだと考えられます。

 かといって、「資格ガイド」のような本を買ってきて「どれが自分に取れるかな?」と探すようなことも、なにか違うような気がします。それでは新卒で「どの会社なら入れるかな?」と企業を比べていたのとあまり変わらないような・・・・。

 私はすこしおかしいのかも知れませんが、「人や社会の役に立つこと」をなにか始めようという視点にたつと、なぜか無意識にニッチ産業みたいなことを考えているみたいです。本当にそんな安易なことで仕事になるのか??不安だ・・・。

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シンプルに

 「天職」とインターネットで検索すると、やはり「天職が見つからない」という悩み相談のサイトが出てきます。そしてそういう質問には、読んでいてこちらまで少々胸が痛くなるような辛辣な回答もたくさん寄せられています。まぁ、「仕事に夢なんか求めないぞ!」と食べるために我慢して会社づとめをしていた経験を考えると、その気持ちも分かるのですが・・・・。

 「天職」という言葉を使って今後の仕事を探そうとすると、たしかに私がなぜ今仕事を変えようとしているのかの必然性以上に、理想論で考えてしまいそうです。だから基本に帰って、もっとシンプルに考えなきゃ。

 ・自分が出来る「人や社会の役に立つこと」。
 ・組織に所属せず、自分ひとりでもできること。
 ・歳をとっても長く続けられること。
 ・収入になること。

 そして、その仕事が単なる「生業」ではなく自分の自信にまでなるためには
 
 ・専門性のあること。

 こんな感じで、整理して考えてみます。

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退職希望

 実は昨日、バイト先で退職したいとオーナーに伝えました。まぁ小さな店のバイトなので、別に文書で出したわけではなく口頭で伝えただけなのですが。

 ここ1ヶ月ほど、辞めるべきかどうかずっと悩み続けていたことは事実です。けれどもまずは目先の収入が必要でもあるし、何より今すぐに辞めても結局これまでと同じようにバイトやパートをどこかで続けるしかすぐには出来ないし・・・ということで、結論は慎重に下そうとずっと仕事関係の人たちには黙っていたのです。

 しかし昨日、とうとうどうしても自分を抑えきれない突発的な出来事があり、「もうこれ以上は無理だ」と咄嗟に判断して、その場で辞めさせて欲しいと言葉にしてしまったのでした。

 その後オーナーと数時間かけて話し合いましたが、お互いの意見は平行線でした。私は、ずっと考え続けた結果出た言葉だったので、意思に変わりはありません。店側は今がちょうど年度の変わり目で、学生バイトが一斉に辞めていくにも関わらずまだ新しい応募がないことに焦っているようで、引きとめるための言葉を繰り返していました。

 それ以上話し合っても恐らく意見は一致しないので、「夫に相談させて欲しい」ということで一旦保留にさせてもらっています。
 日々、自分はこれからどうするべきか揺れています。ですからもうしばらく自分はどうしたいのか、あそこの仕事に何を期待するか等々、自分のことを見守ろうと思っています。

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「やりがい」「充実感」「専門性」

 実はこのブログを久しぶりに再開した少し前に、この本を読みました。

    『職業とは何か』 梅澤 正 (講談社現代新書 2008)

 若い時はこのような本を読んでも、自分の職業経験がまだ浅かったためにその内容を十分理解できませんでした。しかし自分なりの職業観も芽生えつつある現在これを読むと、筆者の言わんとしていることが自分の経験と照らし合わせて非常に具体的に理解できます。頭の中ではぼんやりしてまだ掴みきれていない自分の思考が言語化されて、非常に有益な本です。

 私は以前の会社に勤めていたとき、営業担当だったのですが自分の『仕事』に「自信」がありませんでした。
 社内ではそこそこ中堅と言ってもらえる社歴と年齢で、業務を遂行するという面ではほぼ問題はありませんでした。もちろんずば抜けて優秀な社員というわけではありませんでしたが、それなりに仕事を精力的にこなしていたと思います。その業界内では難しいとされる研修の最上位ランクにも合格して、給与面でも考慮してもらっていました。
 ですが、常に不安だったのは、 
「私がやっている業務は、広い社会に出たらその中で生きていける技術・経験なのだろうか」
という思いだったのです。
 社内では、私のやっていた仕事は私であってもなくても必ず誰かしらが果たさなくてはならない役割です。しかしそれがなんのために遂行されているのかと考えると、自社の扱う商品を一つでも多く販売して利益を上げるためです。
 けれども私には、世の中で人の役に立つためには自社の製品でなければならない必然性は感じられませんでした。もちろん私は、他社の製品の存在を否定していたのではありません。自由主義経済ですから競合他社がいることによってお互いが切磋琢磨し、より良い製品が生み出されるという点で、他社の存在は必要ですし、競争ですからある場合には自社よりも他社のほうが社会からより多くの評価を集めることもあるというのも当然だと思います。
 それが当然なのに、自分が自信を持って世に勧めることが出来ない商品であってもいつ如何なるときも「これが最良の商品ですよ!」とセールスしなければいけないのは辛かったです。「商品に大差なくても如何に売り上げに差をつけるか」こそが営業力なのでしょうが、自分の営業力にも全く自信がありませんでした。
 というのは、ありがたいというべきなのでしょうが、商品自体にそれなりのブランド力やネームバリューがあったために、そこそこ何とかなってしまっていたのが現実でした。自分は営業の基礎も基本も分からないままいきなり現場に出て、行き当たりばったりで営業まがいのことをやっている、それで結果が出せるのか不安でしょうがないのに一応数字は出る、社内ではそれなりに『仕事』をしているとみなされている・・・・自分の「仕事」で結果を達成しているという自信を全く持てませんでした。あたかもどこが試験に出るのか全く分からずに、基礎学力もないまま一夜漬けで勉強してやみくもに試験に望んだら、たまたまラッキーなことに及第点が貰えた・・・とでもいった気分です。

 ですから、「それほど自分の仕事に拘るならば前職の経験を生かせばよい」と言われそうですが、今までは運よく取り扱い商品の知名度などに助けられてきただけです。なにか自分に商品を売るノウハウがあるわけではありませんから、もし全く業界違いのところへ転職する自信などありません。

 「自分の仕事に自信を持てない」ということは単に「次の仕事に踏み出せない」という害だけではありません。「社会の中で、食べていくために自分の力で勝負する武器を自分は持っていない」「自分は社会の中で生きていけない」という自分の存在の不安定感にも繋がっていきます。
 この劣等感を払拭したいというのが、現在仕事を考え直す際の大きな動機になっているようです。

 仕事をするのはお金を稼ぐためです。しかし私は、以前の仕事ではお金は稼いでいたけれどいつも自信がなく不安で、幸福とは言えませんでした。
 今仕事を選び直せるなら、お金を得られるのはもちろんですが、
「自分がこの仕事をすることによって、人の役に立つ結果を生み出せている」という、自分の存在に自信を持てる仕事がしたい。

 冒頭で紹介した本では、このような一節があります。
「質の高いやりがいや充実感を期待するのであれば、専門的な職業に就くことをお勧めします。逆にいうと、やりがいや充実感のある職業を望むなら、専門性を身につけることが必要になると私は思います。」
 やりがいや充実感を求めるなどと言うと、いかにも青臭い理想に酔っているようで恥ずかしい気持ちもありますが、しかし恐らく「自分の仕事に自信を持ちたい」という気持ちの内容は「自分が人を喜ばせる仕事をしているというやりがいを感じて、自分の存在を肯定したい」というものなのではないかと思います。

 そうであるならば、ずばり「専門性」だ、と筆者は書いています。
 では専門性って何か?
 「専門性」と聞くと、私がとっさに想像したのは例えば弁護士だとか会計士だとか医師や看護師だとか、若い頃からその道を目指して勉強した人こそが取れる資格の職業です。
 かたや、例えば大工さんのような職人の世界の仕事やアナウンサーのような技能の世界では、特に資格などはありませんが素人が今日から簡単に参入できる仕事ではありません。結局のところ専門性とは何なのでしょう?
 上記の本では、こんないくつかの見解を示しています。

・プロフェッショナルの本質は公益に奉仕すること。
・プロフェッショナルとは「顧客指向性」であり、クライアントの要請に応えて最適な問題解決を提案し、実現させる人。
・プロフェッショナルには「社会における明確な役割や貢献がその言葉から滲み出している。ひとつのことに打ち込んでいる専門家の匂いがする。」

 この他にも、もっとたくさんの定義を引用しています。
 資格を持っているかどうかとか、それどころか資格制度があるかないかと専門性は必ずしも一致しません。「社会や人の役に立つ」特定の分野を追求し、顧客の期待に応えているかどうかが専門家の定義なのだと私は理解しています。それならば・・・希望的観測かも知れませんが、学生でいられる時期を過ぎた私でももしかしたら何かの道を見つけられるかも知れません。
 そこに、天職の3つの要件の一つ目、「やりたいと思えること」なのかどうか、それが絡んでくればもう少し絞れそうです。
 
 もっとも、その「やりたい」という動機についても、上記の本では検証するべきだと書いています。

・「なぜやりたいのか」に関する「意味づけ」がしっかり出来ているか。
・何に裏付けられた「やりたい」なのか。
・「やりたい」にも次元がある。

 このあたりについては、学生時代の「やりたい仕事」を選んだ理由を思い出すととてもよく分かります。

 何がやりたいのか?なぜやりたいのか?
 私はこのあたりがまだまだ漠然としているようです。ですが、「専門性」がキーワードになりそうだということは分かってきました。

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40代からの再出発

 毎朝起きるたびに、気分が違います。
 今朝は雨降りのせいもあるのか、なんかちょっと沈んだ気分。

 こんなに頭でっかちに考えているけど、もうこの歳になって「自分の『仕事』を見つける」なんて無理なのかな?こうして引っ越すたびに転々とバイト先を探してなんとか潜り込むことを繰り返して人生を過ごすのかな?・・・・

 もし仮に超難関の資格などを取っても、この歳で転勤族となると肝心の仕事はできるのだろうか・・・?結局、『年齢』と『転勤』という条件を考えると、最優先すべき仕事選びの基準は「組織に属さず出来ること」。

 だけど毎日まいにちこんなに考えてても、自分が何が好きなのか、何が出来るのか、そしてそれがどんな風に世の中のためになるのか、全然思い浮かばない。

 人生って、もうこの歳になるとやり直しできる時間はないのかなぁ・・・。

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仕事の喜び

 昔々まだ20代だった頃、ある友人と「仕事の喜びって何だろう」という話をしたことがありました。
 私はいくらでも代わりがいるサラリーマン、かたや友人は福祉事務所で生活困窮者などの相談に乗って生活を支援する福祉の仕事。その彼が言ったのです。「仕事の喜びって、結局自己満足だと思う。」

 人を助ける素晴らしい仕事をしているのに、なんでそんなに夢のないことを言うのか?自分がやっている仕事がどこに向かうものなのか分からないからますます仕事を美化していた当時の私には、彼の言葉がどこからやってきたのかがよく分かりませんでした。

 けれども今になると、もしかして彼が言っていた「仕事の喜びとは自己満足」とは、かなり真実に近いのではないか・・・という勘が働いています。

 昔の私も含め、働くことを具体的にイメージしにくい新卒者は仕事を選ぶ際の動機として、「好きなこと」を選択の基準にすることが多いと思います。
 これが悪いとは言えませんが、しかし以前の記事でも書かせていただいたように、ある活動が仕事として成立するためには、まず何よりも「人や社会の役に立つ」要件を満たしていなければいけないのではないでしょうか。いくら自分が好きで、生き生きとある活動をすることができても、世の中の誰からもそれを求められていなければ自分の趣味と変わらないのではないかと想像します。
 
 そう考えると、一生にわたって色あせない仕事の喜びとは、その活動から自分が直截的に感じられる喜びというのではないのかも知れません。むしろ、「自分の活動を他者が喜んでくれることによって、自分も喜びを感じる」という一見婉曲的な形での喜びのほうが、仕事というものの本質により近いのかも知れません。

 そうであるならばどんな仕事であっても、『仕事』として世の中に成立している以上、そこには必要とされる喜びがあるはずです。けれども現実にはそうではないというのは簡単に想像できるでしょう。それはなんでなのか?

 比較的すぐに思いつくのは、自分がやっている業務や作業が大きな組織の中でいろいろな人の関与を経てひとつのまとまった『仕事』として世に出るまでには、物理的・時間的・心理的等々距離が遠すぎて自分の作業と結果を結びつけて想像することができないということがあるのではないでしょうか。
 あるいは生産ではなく消費の方向から考えると、自分もある過程で関与して世に送り出された『仕事』は、確かに消費者を笑顔にさせたり役に立ったり喜ばれているのですが、市場の流通経路は現代はとても複雑なので直接それを五感で感じることが出来ません。そのために自分の『仕事』が人を喜ばせているとは実感できないということもあるかも知れません。

 そう考えると、たとえば先鋭的な例ではたとえばディズニーランドのキャスト、もっと日常的にはブティックなどのお店での接客業などが学生のアルバイトとして人気があるというのは理解できます。自分が目の前のお客さんに働きかけて、そしてそのお客さんが喜んでくれたり反応してくれたら嬉しいのはもっともです。

 ご多聞に漏れず、実は私も昔それが「仕事の喜び」のひとつだと思っていました。もちろんもっと成果を求められる正社員の仕事をこなす上では、相手の顔が見えない仕事でも「達成感」「自己有能感」「成長感」などのモチベーションもたくさんあることが分かるようになってはいましたが、やはり他者と嬉しい感情を一瞬でも共有できる体験が出来るというのが、理屈抜きの仕事の喜びだと思っていました。
  
 そんなこともあって、退職後に選んだ今のバイトがコンビニでの接客業ということもあるのですが・・・・コンビニで働き始めて2年弱経った今、「お客さんに喜んでもらうと嬉しい」の内容が少し変わって感じられるようになってきました。
 以前の仕事でも、またコンビニで仕事でも、たまにお客さんから逆に「ありがとう」と言ってもらえることがあります。以前はこれがすごく嬉しく感じられました。2ちゃんねるにはコンビニバイトの愚痴を書き散らすスレッドがあり、そこでも「お客さんにありがとうって言われると涙が出そうになるほど嬉しい」というような書き込みもいくつかありますから、決して突飛な感情ではないと思います。

 ・・・なんですが、いつの間にか最近、自分が違う感情に心を占められていることに気づきました。お客さんから「ありがとう」と言われると今まで通り「嬉しい!」と思うのですが、同時に「こんなことぐらいで嬉しいのか」と自分を見下げるような自分の内面の声が聞こえてくるようになったのです!

 いったいこの内面はどこからやってくるのか?
 恐らく、私が仕事で得たいと思っている喜びや満足感というのは、「自分が○○をしたからお客さんから喜んでもらえた」ということではないようです。それよりもその内面は「私は自分の活動によって、目の前の特定のお客さんではなく社会に何かを提供できているのか?」と囁いてくるのです。

 確かに目の前のお客さんから感謝されたら嬉しい。でも、その喜びはその場の一瞬で過去になってしまいます。それよりも、目の前で感謝の言葉を聞くよりも自分の『仕事』が確実に社会に何らかの役割を果たしていることに自負心を持ちたいと思うようになっているようです。
 
 どちらがより高尚だとか視点が高度だとか、私にも分かりません。ただ昔の私のように、「社会にとって意義ある仕事には必ず利他的な喜びがあるに違いない」といったような硬直した考えはいつの間にか消えてしまいました。いくら社会的に意義のある仕事であっても、社会の評価は基本的に純粋に『仕事』に浴びせられるのが自然なのではないでしょうか。そこに自負心を持とうが持つまいが、そこから先はむしろ当人の問題であり、その意味で仕事の喜びとはやはり自己満足なのかも知れないという気がします。
 

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『大阪編集教室』

 いったい私は何をずっと続けられる仕事にすればいいんだ・・・??!
 悶々と手探りで考えながら生活する毎日が続いております。

 恐らくこの先ダンナの転勤による引越しを繰り返すであろう私は、今さら企業にもぐりこむなんてことは出来ないでしょう。
 組織に所属せずにお金を稼ごうとしたら・・・??この細腕(かどうかは疑問ですが)一本で稼げる手段を考えなければいけない。
 かといって言うまでもなく何か技術があるわけでもなく、それどころか『一体自分は何が好きなことなの?』という疑問にすら自分でも答えられない・・・・・情けなくて絶望に沈んでしまいそうな気分。

 ・・・・・いや、まてよ?
 強いて、強いて挙げるならば、アタシこうやってブログでつれづれな事どもを書いて、読んでもらえたら嬉しい、反応してもらえたら嬉しいじゃん!
 アタシがかろうじて「好きだ!」って言えることって、まずはとりあえず一つ目は「書いて読んでもらうこと」???

 そこからはだいぶ飛躍のある発想だと思われる方がほとんどだと思うのではありますが、なにせ『溺れる者は藁をも掴む』を地で行っているのが今の私。こうまで悩みのどん底で這いつくばっているのなら、今更多少恥ずかしいことなどくそくらえ!!
 なんと、何の知識もないのに、「文章を書いて売る・・・ライターという仕事は自分に出来るだろうか?」と思考してしまったのでした。

 よく、フリーライターで活躍されている方の経歴を拝見すると、ダメモトで出版社に現行の持込みを繰り返して、いつか認められたというような話が出てきます。
 才能があるからこそそれで芽が出たのであって、アタシみたいに今さらな人間が、ヘタな鉄砲数打ちゃ当たるとはいかないんじゃないの?ライターになるってのはどうすればいいんだぁ???
 しばらく前に、あまりにも自分の頭の中が混乱しているので、頭を整理するために買った本があるのです。ズバリ、「女性のお仕事図鑑」(まぁタイトルは本物とちょっと違いますけど、要はいろんな職業につくための情報や仕事内容などを列挙している本です。)
 それを見ると・・・・あちゃ?、なんてこった、ライターになるためにはまずは「出版社勤務」だそうな。どうやら出版の世界は業界内の人脈で仕事を依頼する慣習らしいので、書き手になりたいのならとにかく業界にツテを作りなさい・・・ということらしい。

 そ、それじゃあ私のように途中から横入りできない世界なの?既に活躍しているライターさんは皆出版社出身なの???
 そのあたりを更に突っ込んで読んでみると、やっぱりこの世界にも傍系のデビュールートはあるらしい。どうやら巷にちらほらと見聞きする『ライター養成学校』という場所がそうらしい。

 旅の恥はかき捨て。いや、無料資料請求の恥もかき捨てだ。どうせインターネットで氏名と住所を送信するだけで、どうせどこの誰かなんて分からないし。もはやかなり疲れている自分は、やけっぱちですぐに大阪にあるライター養成学校を検索し、その中のひとつであった『大阪編集学校』に資料請求を申し込みました。なぜって、それはネットでの学校紹介のページを見ていても、肝心の学費についての記載がなかったから!
 路頭に迷っているか弱き子羊を狙ってカモにしようと手をこまねいている学校だったら容赦しないぞ!!

 で、今日仕事から帰ってきたら早速ポストに資料が届いていました。開けてまずは学費・ガクヒ!ぼったくられてたまるもんか!!
 学費は1年間で20万らしい。これを高いとみるか安いとみるか??う?ん、私はまだちょっと懐疑的なのです。

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メラトニン

 最近、ちょくちょくメラトニンのサプリメントのお世話になっています。昨日もまた飲んでしまいました。

 メラトニンとは何か?というと、どうやら脳みその中にある松果体から分泌されるホルモンらしい。メラトニンはその名前がメラニンと似ていることからも分かるように、目から入る日光を感受することによって分泌が促されるものらしいです。
 このホルモンが、安眠をもたらすというのです。

 最近、眠れないときにこのサプリを飲むと、ちゃ?んと上手い具合にいつの間にか眠れてます。助かってます。

 買ってきたのは1月にダンナとグアムに旅行したときです。グアムのKマートで買ってきました。
 ホントは日本で簡単に買いたいところなのですが・・・・日本ではまだ見かけたことがありません。まだ承認されてないのでしょうか?
 もう10年ほど昔、カナダに旅行に行った時も、「英語圏ならあるかも?」と思い、ファーマシーを何軒か探しましたが、時代のせいか国のせいか、見当たらなかったなぁ・・・。
 なのでもう手にはいらないと諦めていたのですが、今回は偶然にも見つけることが出来てラッキーでした!思わず2瓶買ってしまった(笑)。

 これがなくなったらどうしよう??早く日本でも発売してくれ?!

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篠山ABCマラソン大会

 今度の日曜日は、篠山ABCマラソン大会があります。
 制限時間は5時間。前回の木津川マラソンでは5時間2分だったので、今度こそ5時間切りを目標にしたいところなのですが・・・・。

 気が弱くなっている、というか、走ることも含めて元気がなくなってる感じなので、いっそ棄権しようかと思い始めています。

 いつも何だか疲れている感じの自分。あぁ、我ながら嫌だ・・・。

 こんなヘタレな私でも、親身になって励まし応援してくださる仲間のランナーの皆さん、ありがとう、そしてごめんなさい・・・。

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ラブラドライト

 前回の記事に書いたように、最近の私といえば少々元気がありません。ちょっと時間が空くと知らず知らずのうちに悶々と考え込んでしまうせいか、若干身体の調子もよろしくないみたいです。例えば、肩こり・背中こり、胃が焼ける、お腹を下す、頭痛がするetc・・・・。どれもこれも病院で診てもらうほど明らかに悪いわけではないのですが、考え込む→体調を崩す→不快→さらに気分が滅入る・・・という悪循環。こんなときほど本当は無心に走って、汗と一緒にイヤな気分を身体から搾り出してサッパリ☆・・・といきたいところですが、胃がちょっとムカムカしていたり背中が凝って腕振りしてても痛いようだと、少々しんどくて長くは走れません。

 そんな気分が続いてた中、自分の意思の力だけではちょっと悶々をふっきれなくて、何か気分を転換できそうな簡単なきっかけはないのか探しておりました。
 「溺れる者は藁をも掴む」ではありませんが、実は珍しく占い師のところに行って運勢を見てもらったりと、少々スピリチュアルなところにまで救い(?)を求めてみたのです。
 その一つとして、ふと「やってみよう」と思ったのが、「パワーストーン」というもの。最近は中年の男性でも、手首に数珠のような石を連ねたブレスレットをしている方いますよね。要はああいうのをパワーストーンというんだと思って。
 以前、お店で売られているパワーストーンが綺麗だったのでネットで調べてみたところ、どうも塩で清めたり割れたら神社で引き取ってもらったりと、結構奉るのにも手間がかかるものらしいということが分かってきました。面倒くさがりの自分はその時点で却下。それからは興味なかったのです。

 が、最近は気持ちが沈んで走りに遠出することすら気が乗らないとなると、なにか無理矢理にでも新しい刺激を自分に与えてこの悪循環を断ち切りたい。もしそれほど高い買い物でないならば・・・少々のお金で気分転換できるならそれもいいのではないか?何よりも、いつもユニクロのドライメッシュTシャツにバーゲンで買ったランパンを履いて、美ジョガーブームに背をそむけたような格好でドタドタ走っている自分だから、自分が「綺麗だな?☆」と思えるアクセサリーでも着けて気持ちがもっと外向きになれたら走るのも楽しくなるのではないか・・・??

 とまぁ散財にあれこれと長たらしい言い訳をつけて、ネットショップをあれこれと散策してみました。
 すると、なんとまぁお値段の割に随分とオシャレで品数豊富なお店を見つけたのです!
       ポートショップ http://www.rakuten.ne.jp/gold/portshop/
というお店で、よく言えばカジュアル、悪く言えばチープなよくあるアジアン雑貨店とは一味違う品揃えのようです。

 以前も「走るときにちょっとアクセサリーを着けたいな・・」と思ってピアスをしていったことがあるのですが、粗忽な自分はついつい何かのはずみで落としてしまうのです。ネックレスでは走る度に揺れて邪魔になるし、そうとなれば指輪しかないだろうと、今回は指輪を物色。

 ところが、指輪のページを開いた途端、この商品に一目惚れしてしまいました! http://item.rakuten.co.jp/portshop/i1rf855_01lb/ ダンナに了解を得、さっそく注文・・・・。そしてそれがほんのさっき、やっと届いたのです。 

 開けてビックリ、こんな商品が届きました!
s-DSCN0333.jpg

 正直、あまり期待しないで想像していたよりもずっとずっと綺麗です!少なくともネットで見た写真とはほとんど変わらないと言っていいと思います。これで3570円、石の大きさは横1.2cm縦1cmですから、普段使いのアクセサリーとしてはかなりリーズナブルなのではないでしょうか?私的には大々満足です!!
 さっそく次にひとりでぶらりと走りに行くときに着けていこうと、ささやかな楽しみが出来ました。こんな小さなことでも、少しずつ気持ちが明るくなっていけばいいなと我ながら思うのですが・・・。

 ところでラブラドライトという石の意味は、「予言、天恵、直感、霊感、無私無偏、神秘etc・・・」というような、霊的で精神的なものらしいです。本当はマラソンも仕事も、弱い自分に克って目標を達成する意志の強さをもたらしてくれるような意味合いの石だったらいいなと思ってたんですけど、まぁ一目惚れしたんだからしょうがないですね・・・。



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転勤族の妻 そして仕事?その2

 ありました!天職の3つの要件です。書かれていたとおりに転記させていただきます。

1.「自分のやりたいことを何でも良いのでやってみること」
2.「それが、人や社会に役立つものになることでないといけない」
3.「それで生計を立てれること」

 どこかの大学の先生が仰った言葉だそうです(詳細は書かれていませんでした)。簡にして要、とはこのことかという言葉だと思います。

 2つ目と3つ目の要件は、非常によく分かります。いくら私がランニング大好きであっても(実際は練習サボってばかりのなんちゃってランナーですが^^;)、私が走ることで社会の役には立てないし、従って当然報酬も貰えません。仕事として成立するということは、すなわち求められたサービスと報酬がイコールで結ばれて存在することですから。

 しかし、悩ましいのは一つ目の要件なのです。
 私はこの記事を書き始めるまで、「自分がやりたいこと、自分にできることってなんだろう?」とず?っと考えあぐねてきました。例えばうちのダンナを見ていると分かりやすいのです。ダンナは特別な技術も資格も学歴もある訳ではありませんが、私と知り合うはるか昔から根っからの趣味人なのでした。私が知っているだけでも彼が興味を持って一家言ある対象はいくつもあり、中でもパソコンに関しては、過去には会社に秘密で自分でPCの製造を受注してきて、結構いい副収入になっていた時もあったようです。
 もちろんITやらデジタル系こそ進歩が速すぎて、当時ダンナがやっていたようなPCの製作くらいでは早晩立ち行かなくなったかも知れません。本当に主収入にするには、もっと知識も情報もガツガツとついて行く努力をしないといけないのでしょう。

 しかし、私はそれ以下なのです。つまり、39歳で結婚して退職するまで、今から思えばあまりにもサラリーマン的でした。とにかく仕事が忙しくて、仕事以外のことはほとんど何もしていませんでした。家と会社の往復ばかりで興味の対象が拡がることもなく。というか、有給休暇を取ることにもどこか罪悪感のようなものがあるくらいだったので、興味や趣味が拡がってやりたいことが増えることを恐れてそうした欲求を押さえつけていたというのもあります。
 その結果、今の自分には何も残っていません。
「いや、それだけ仕事に没頭していればその仕事の経験や知識を生かせるだろう」と思われるかも知れませんが、正直自分にはあの業界は居心地悪いものでした。あまり詳しくは書けませんが、自分のやっている業務はおろか社業そのものが「本当に世の中の人から必要とされているのか?」と疑問に思え、会社が上げている利益は社会の流通構造をもっとシンプルにすれば存在する必要のないサービスを、無理矢理そのような構造にすることで一般のコンシューマーから吸い上げているものではないかと感じられました。

 もともと自分の実家は自営業で、父は昔ながらの技術職です。ですからそんな家風もあって、「求められたものを生み出して提供し収入を得る」というのが地に足のついた仕事のように感じられるのでしょう。
 ですから今までのサラリーマンという「職業」を辞めて、自分でずっと続けられる仕事を見つけようと思い立ったとき、まずは「社会が必要としていることで、且つ自分ができることってなんだろう」という方向に思考が向かいました。ここで言う「自分ができること」というのは、「自分が好きで一生続けられること」というような意味合いです。
 しかしこの記事を書いているうちに、だんだんと「そうとは限らない」という気にもなってきています。
 もし本当に社会から必要とされている技術やサービスなのであれば、好き嫌いはともかく一旦棚上げにして、まずは何らかの手段で習得する。それが「人や社会に役立つもの」であり、「それで生計を立てられる」のであれば、生きていく手段としては十分なのではないか?
 いやいや、それで自分の気持ちを押し殺してずっとサラリーマンをやってきた挙句、何も残っていないと感じる自分がいるのも事実です。
 仕事を探す際に「自分の好き嫌い」、どこまで重視するべきなのか分からなくなってきています。

 唐突ですが、私の好きな言葉にこんなのがあります。

「存在するものは全て合理的である。」

 ヘーゲルの言葉だそうです。身の回りの事象を観察してみると、なるほど名言だな?、と思います。(その言葉に乗っかって昔の自分の仕事のことを検証すれば、その会社はその社業で存在していることにちゃんと社会的意義はあったんだということになります。それが良いとか悪いではなく、私が好きではなかったというだけのことです。そうであるならば、いくら社会的意義のある仕事であっても当人の嗜好と合わなければ不幸な職業人生になるということでしょうか。そう考えるとやっぱり仕事への好き嫌いも仕事選びには考慮したほうが良いでしょうか?)
 「世の中が必要としていること」「店舗や在庫を持たずサービスを提供する」等々つらつら書いてきましたが、言うまでもないことなのですが世の中の「ニーズ」、これこそ見ることも触ることも出来ない掴みどころのない存在です。
 しかし「ニーズ」が存在していることは、この世の中にごまんと職業が溢れていることから疑いようがありません。目に見えないニーズは、それを満たす職業が機能することによってその存在を確認できます。
 この世にあらゆる職業が存在しえているのは、それら全ては「存在する合理的理由があるから」です。一体世の中には、目に見えないから気がつかないどんなニーズがどれだけ溢れているのか、それを確かめるためにでも、天職の3要件のなかの一つ目、「自分のやりたいことを何でも良いのでやってみること」を行動に移すべきかも知れません。



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転勤族の妻 そして仕事?その1

 ずいぶんこのブログも放ったらかしにしておりました。あまりにも間があいてしまったので、最後の記事をいつ書いたのか、自分でも恥ずかしくて確認していませんが・・・・。

 恐らく優に数ヶ月は経っているのではないかと思いますが、いくら普段からヒマな生活をしている自分でも、さすがにこれだけ時間があくと何やかやの生活上の変化があるものです。

 実は、1月下旬から2月にかけて、まずはダンナの職場、そして次には私のアルバイト先でちょっとした騒ぎ(?)が立て続けに起こり、その結果 現在私は「自分の仕事って何だろう・・・?」という迷宮にはまり込んでいます。

 まずは1月下旬の出来事。ズバリ、ダンナの会社で何年かぶりの全社的規模での組織改編があったのです。それが一介の社員(まぁダンナのことですが^^;)には具体的にどういう形で影響するかといえば・・・・そう、『転勤』です。

 会社から「1月X日に辞令が発表になるぞ!」と会議で言われたのは確か1月の上旬だったでしょうか?会社からの情報はこれだけなので、この時点では我が家も転勤の対象になるのかどうかは未知でした。しかし改めて考えてみると・・・大阪に転勤になってから今春で丸3年です。今までは社員の間で密かに「今度こそ辞令が発表される」と噂が流れ、その度に結局何事もなく噂された発表の時期が過ぎるということが何度もありました。会社が公の場で辞令があることを言い出したのは初めて。となると、いよいよ我が家も次への異動を命じられる時が来たのではないか???

 ・・・・しかし結果的には、「会社規模の組織改編」という言葉通り、一般社員の異動という末端の問題には全く触れず、事業部の改廃に伴う役員と管理職の異動だけで終わりました。無事、我が家は今までどおりの生活を続けることが出来るのです。

 しかしこの一件で、私の意識も遅ればせながらやっと現実に開きはじめました。つまりは、『今はここに居られても、遅かれ早かれいずれ必ずどこかに引っ越さなければならない』のが現実なのだということです。

 そこへもってきて、今度は私のアルバイト先のお店で、1月末にゴタゴタが沸き起こりました。一緒に働いていた同僚の女性が、オーナー夫妻との折り合いの悪さから唐突に辞めてしまった、いや、解雇されたというべきでしょうか?
 最初は突然仕事を失った彼女に同情していたのですが、その後実は辞めさせられた彼女も辞めさせたオーナー夫妻も、どっちもどっちで裏も表もあるドロドロの事情があることを知り、それどころか私以外のスタッフ、いや過去に辞めていったスタッフまでもが皆で口裏を合わせて一見うまくやっていただけだったということを知り、愕然としました。もはや他人のことは迂闊に信じられないとまで思うようになりました。

 詳しくはここに書けませんが、状況を鑑みて私も辞めるべきではないかと考えました。
 しかし、決断すべきかどうか何日も悩んでいるうちに思い出したのです。そう、このタイミングで辞めても辞めなくても、結局遅かれ早かれ私はここでの生活に終止符を打って次の土地へ引っ越していくんだ・・・と。

 今の私にとって、仕事とはずばりお金を稼ぐための活動です。バイト先の仕事が好きだからとか社会参加だとか、そんなことは考えておらず、今バイトを辞めたらすぐに金銭的に困るということだけが、辞めるかどうか迷っている理由です。
 自分が転勤族の家族であるとは何を意味しているか、それに気づくまでなら『え?い、辞めてやる!次はもっとマシな職場を探そう』となっていたのかも知れませんが、それに気づいてしまってからは、私の抱える問題は「今の職場が嫌」ということではなく、「この歳になって転々と移動する人間が、一貫して続けられる仕事とはなにか?」にすり替わってしまったのです。

 『資格』。そう、今は資格流行りですね。年度末という時期もあるのでしょうが通信講座のCMが明らかに多くなっています。
 たしかに何かしらの資格を取れば就職に有利なのかも知れません。しかし私のようなケースにはどうなのでしょうか?
 私は既に41歳です。そしてこれからも恐らく数年周期で転々と新しい土地へ引っ越しを繰り返しその度に歳をとっていき、その都度そこで資格を生かした企業に就職できるよう頑張るのでしょうか?
 採用者側の視点で考えてみましょう。もし同じ資格を持った20?30代の未婚女性と、恐らく数年でまたどこかの土地へ急に引っ越してしまうリスクを抱えた40代の主婦が応募してきたらどちらを採用しますか?
 なぜ日本の転職市場では『若さ』が何よりも求められる条件なのか、それについては最近読んで脳髄をぐわし!と掴まれたような衝撃を受けた城繁幸さんの著作を後日改めて紹介させていただこうと思いますが、年齢のハンディを差し引いても、不定期にほんの数年で突然転居していくことが予め分かっている人間に、企業の資源は割けないというのは理解できます。

 結局、転勤族の妻(いや、全ての奥様ではなくこの場合は私のような中高年の場合でしょうが)が安定的な収入源を持とうと思うのなら、企業や組織に所属しない稼ぎ方に必然的に帰結するのかも知れません。在宅とかフリーランスとか、ちょっと言葉だけが一人歩きしている感はありますが、強いて表現すればそうなるのでしょうか。

 個人でやる仕事の場合は、気楽どころじゃあありません。気楽なのはむしろ今やってるバイトなんかですよね。個人が企業に比べて圧倒的に弱いのは、営業力だと思います。例えば自宅を使って個人でマッサージの仕事をするなどということを想像すると、一般のコンシューマーに対してどうやって集客を行うのかが難しいのではないでしょうか。常にお客様を集めなければ収入がないという焦りと戦っていくことになるのではないかと想像します。

 しかしそれ以前にもっと重要なのは、いわずもがなですが「何を仕事にするのか」です。組織に属せず収入を得るということは、社会が求めている何かを個人で提供することでしょう。住まいを転々としながら続けられるということは、店舗を持たないということですから、おそらく在庫商売ではなくサービスを提供する仕事になるのではないでしょうか。
 願わくば一生続けていける仕事とは何なのでしょう?あるサイトでとても本質を突いた言葉を見かけました。ある仕事が天職たるには、次の3つの要件を満たしていなければいけないそうです。
 一つ目は、「社会から必要とされていること・役に立つことを行う活動であること」。
 二つ目は、「その活動によって収入があること」。
 そして三つ目は・・・・う?ん、これがどうも思い出せない!
 

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